国会パブリックビューイングって何?という方は、こちらを。

ごく簡単に記述すると、国会審議を街頭で上映するという取り組みで、法政大学の上西充子先生が有志らとはじめられました。

現在では各地で様々な人が様々な形で取り組まれています。


年末を区切りに一旦お休みをいただいて、あたたかくなってきたので再開しました。

昨日は2020年になってはじめての国会パブリックビューイングを実施。

おもしろいことがあったので、書き残しておきたいと思います。


「桜を見る会」追及の野党合同ビラを配っていた方によると、いつもより受け取りがよく、幅広い年代から反応があったと。

30代くらいの男性からは、「どうやったらいい政治に変えることができるんですか?」と質問があったそう。


わたしはマイクでしゃべらないといけないということがあるのと、誰も見ている人がいなかったら寄って来づらいだろうと思って、基本的にはいつもスクリーンの前で映像を見るようにしているのだけど、昨日は、アメリカ人の中年男性に声をかけられたので少し話した。


その男性は、「これは安倍首相を応援するためのものか?」と聞いてきたので(たしかに何も知らない人からすると、安倍首相を応援しているように見えてもおかしくはないなと思った)、いえ、安倍首相に反対する立場の宣伝ですと答えたら、「お〜、わたしも同じ考えです」と。

そこからその男性は、看板に書かれている"Japanese Communist Party"という文字を発見。

「"Communist"にはいろんな意味があるけど、中国やロシアのことがあるからイメージが悪いですよ!」と言ってきたので、日本では共産党は弾圧され、殺される側だったんですよと言ったんだけどおじさんも譲らず。

まさかアメリカ人からも名前の変更を提案されるとは思っていなかったので驚いたけど、「アメリカでは"Democratic Socialist"(民主的社会主義者)と言っていますよ」と言われたのでまさかと思い聞くと、「はい、バーニー・サンダース支持者ですよ!」と予想的中。


最近、赤旗でもよく「アメリカのミレニアル世代の間で社会主義・共産主義への評価が高まっている」という話をよく見かけていて、ほんとかな〜と半信半疑だったんだけど、この男性との会話で、なるほど、やっぱりアメリカではまだまだ"Communism"はイメージが悪いが、"Socialism"に対してのイメージは悪くないからこそ、民主的社会主義者を名乗っているバーニー・サンダースへの期待が高まっているのだと妙に納得。


たった一人の意見をして全体がそうだと判断はできないけれど、この見方は結構当たっている気がする。

もちろん、そんなことを言われてもめげずにCommunistの看板は下ろさないし、社会主義・共産主義社会の実現を目指して邁進するのみだけど、科学的社会主義の立場からも、現実を正しく認識して進んでいきたいなと思った経験でした。


やっぱり外に出ると思わぬ出会いがあったり、おもしろいな。

江之子島文化芸術創造センター(enoco)で開催された、

アートはひとりでは生きられない ー協創・参加・対話の現場からー

創造のテーブル2020

というイベントに参加した際のメモを起こします。

※あくまで個人的なメモですので、発言者の趣旨と異なる場合があります。

それぞれの実践がめちゃエキサイティングで勉強になるフォーラムで、自分自身がアップデートされました。


登壇者は4名。

まずは、韓国で様々なストリート・アート・フェスティバルの芸術監督を務めてこられたキム・ジョンソクさん。

Ansan Street Arts Festival 芸術監督(2010〜2011)、Hi Seoul Festival芸術監督(2013〜2015)、Seoul Street Art Festival芸術監督(2016〜2018)、Gwacheon Festival芸術監督(2019〜)と韓国国内で様々なアート・フェスティバルを手がけてこられた経験から、着任時には必ず「都市それぞれの物語」に着目し、仕事をはじめる前にリサーチを行う。

余談だが、このフォーラムのために前日から来日し、大阪のリバー・クルーズにも参加してきたそうだ。

その土地の記憶や、そこで生きる人々につねに意識が向いているのだろう。

リサーチする際のテーマは、そこにどのような人が住み、そこで何を共有できるか、人々がそこでどんな夢を見ているか。

そして自分は、それらをつなげるための「橋」の役割を果たすのだ、とも。


そのためには平和的に人々が集まり、そして散っていく空間が必要で、それが「フェスティバル空間」なのだと位置付けている。

このことに気づいたのが2002年のサッカー・ワールカップのときで、民主化運動(1987年)ーサッカーワールドカップ(2002年)ーキャンドル革命(2016〜18年)の経験からこのことを学んだ。

いずれの場合も光化門を埋め尽くすほどの人々が集まり、そこで人々が交流し、運動をさらに高めていった。


また、大規模なアートイベントであるにも関わらず、ソウルのフェスは政府主導ではなく市民の自発的な動きによってつくられていることも大事な点。

アート・フェスティバルは、日常と非日常をつなげる橋であり、境目をぼかす(自分にも何かできるのではと思わす)役割があり、異分野共同の場でもある。


大事にしている考えは、

・Collective Togetherness(様々な立場の人が集まって声を上げる/自分の思いを持って集まる)

・Sharing Identity(アイデンティティの共有)

・Re-Discovering of Life(人生を再発見する)

・Challenge for Change(変化に挑戦する)

 ーArtistic Experience(芸術的体験)


フェスの観客もデモの参加者も一人一人別の人間。そんな一人一人の意識をほんの少しずつ変えていくことが、芸術の役割だ。

フェスティバル(祭典)というのは一般的には日常からの脱出と理解されるが、日常からの逃避は理論家の話であり、大事なことは「日常に立ち返ること」であり、「日常を再発見すること」だ、と。

日常から逃避するような芸術は、市民にとって意味を持たない。

土地の歴史や記憶に立脚し、人々が自発的に集まることを大切にしている。

自分のようなヨソ者が来ることで再発見されることもあり、現実と幻想をつなげることが芸術の役割だ。


フェスティバルの大枠を考える際に、「想像力と発見」①(自分も含めた)人々が望むものを想像しよう、②隠された問題を想像しよう(ニュースにも報道されない、声にもなっていないもの)、③空間と時間を想像しようという3点を軸にしている。

会場がストリートであるためド派手な演出の作品も多いが、ソウル・ストリート・アート・フェスティバルでは、同地で深刻なー老人の問題、若者、就職の問題を扱った「社会的な」作品も多くみることができるそうで、言語化されないまま、暗黙のうちに共有されている問題を扱うことも意識しているとのこと。

ソウル・ストリートアート・フェスティバル 2018年アフタームービー


映像を見るとお金のかけ方が違うなと思うが、ソウルのフェスの場合は18億ウォン(!)とのことで、これはほとんどが自治体の税金によるとのこと。

なぜ入場料を無料しているかと言うと、「先に税金をいただいている」から(この考え、日本でも広めたい)。

市が予算を削ったり、ディレクターを変えられることもあったり、そのことで市民と争うこともあるとのことで、こうした現状でどうフェスティバルをオーガナイズしていくかいつも悩んでいるそうだ。


現在芸術監督を務めているGwacheon Festival(果川市)は、市長が変わったことによってフェスが中止になったことがあったが、それが市民の怒りを買った。

Gwacheon Festivalは約20年続けられてきたフェスであり、同地の人々はフェスの楽しさ、その楽しみ方を知っているからだ。

そこで市民の声に後押しされ、「また新たにはじめよう」というテーマでフェスを復活させることができた。


次に、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(Socially Engaged Art/SEA)の研究・実践、アーティストの支援などを行う清水裕子さん(NPO法人アート&ソサイエティ研究センター副代表理事)の発言。

SEAという言葉はどこかで聞いたことのあるような気もしていたが、話を聞いて、いま自分がやりたいと思っていることにピタリとハマるものだと気づいた。

そこでようやく、漠然と考えていたものが言葉になった。「アートに政治を持ち込むな」とよく言われるが、わたしがやりたいことは、「政治にアートを持ち込む」(政治にこそアーティスティックな想像と創造が必要)こと。


『SEAー社会に深く関わる参加型の芸術実践』

SEAは1960年代にはじまったと言われている取り組みで、アートワールドの閉じられた世界から脱して現実の世界に積極的に関わり、日常から既存の制度にアプローチするもの。

社会の課題を認識して何らかの解決を目指すものであり、テーマは多様。

海外では社会の課題を具体的に取り上げ、問題に踏み込んだプロジェクトが多いが、日本の場合はコミュニティの再構築や、コミュニケーションのあり方を捉えたプロジェクトが多いという違いがある。

(その違いは優劣ではなく、どちらのアプローチもありだよね、と)


SEAは、「社会的課題に応えるための参加型アート」として、一人一人が抱えている課題がポリティカルなことだよと伝え、どうオルタナティブを見つけていくか。

資本主義的メディアに冒され、受動的になっている人間を変えたいとも。

作品が商品化されていることへの危惧、既成概念に疑義を唱えるため、時代ごとに対応してきたものがSEA。

ここで紹介されたプロジェクトが、公園へのマンション建設反対運動をアーティスティックな活動で食い止めたクリストフ・シェーファー他による「パーク・フィクション」(ハンブルグ)や、ペドロ・レイエス「銃を楽器に」(メキシコ)、そして高山明「マクドナルド放送大学」(初出はフランクフルト)。


◎パーク・フィクションは、このプロジェクトに取り組んだアーティストのインタビュー記事がおもしろいので興味ある方はぜひお読みください。

反発から創造へ、自分たちのほしい「公園」ができるまで。 住民主導のACT×ART「パーク・フィクション」ーgreenz


◎ここで紹介されたわけではないが、関連して。ドイツ博物館で行われた企画展を、日本科学未来館が日本へ持ってきたもの。

どうする?エネルギー大転換


たとえばマンション建設反対運動の場合、通常の「ポリティカルな」運動ならば、署名を集めたりビラを配るなどの宣伝を行ったりといったものになるが、アーティストが活動に参画することで、公園を使って地域住民に開けたイベントやワークショップなどを開催し、その公園が地域住民にとっていかに大切な場所かーくつろいだり、散歩したり、集まったりーということを可視化することでその公園の必要性を認めさせ、結果、マンション建設を撤回することができたそう。

社会課題全てにあてはまるとは言わないが、こういった視点による活動も重要だろう。何より、エキサイティングだ。

反対に、アーティストだけでは持つことのできない課題や視点もある。多様なパートナーシップを模索することによって社会に広がりが生まれ、このような活動が可能になるだろう。


非常に時間が短く、一心不乱にメモをとったが、興味のある方はぜひウェブサイトをご覧ください。


次に、北澤潤さん。

たしか名前だけは聞いたことがあるが(おそらくフェスティバル/トーキョー関係で)、どんな作品をつくるアーティストなのかは全く知らなかった、、、が、むちゃくちゃヒットした(圧倒されてメモは少ししかとっていない)。


曰く、わたしたちは「日常」によってつくられており、「日常」には無意識を引き起こす恐れもある。

アートには「もうひとつの日常」を想起させ、「日常の革新」を促す力がある。


国内での活動もさることながら、ジャカルタに拠点を移してからの活動に圧倒される。

ジャカルタで都市開発のための政府による強制退去が進められていることから発想されたプロジェクトー理想の家のコンテスト「LOMBA RUMAH IDEAL」や、参加者が不要な商品を持ち寄り物々交換をする「LIVING ROOM」、2019年のフェスティバル/トーキョーでは、ジャカルタ式屋台を東京の街に出現させた「NOWHERE OASIS」を発表(ちょうど前後して、奈良でも作品を集めた展覧会が行われている)した。

参加型のプロジェクトは、日本とジャカルタでは作品鑑賞の仕方が異なるそう。

北澤さんの作品は、SEAに通じるところがある。


ダブル・ローカリティ、「多様性より複数性」という言葉が印象に残った。

とにかく、センス抜群。


最後は、もともとチェルフィッチュなどの作品に出演していた俳優の武田力さん。

フィリピンのフェスティバルで「たこ焼き」をつくるパフォーマンスを行ったことで有名、ということくらいを知っている程度。

北澤さんもどうやって生きているのか謎だったが、武田さんの場合はもっと謎。

武田さんの携わったプロジェクトを介して、日本でも、あちこちの地域でおもしろいアート活動が行われていることを知った。


登壇者それぞれによる活動紹介が終わり、ここから、全登壇者+enocoの甲賀さんはじめスタッフも参加するディスカッション。

日本財団が実施した「18歳意識調査|第20回ー社会や国に対する意識調査ー」が話題に。

よく言われることだけど、日本のこどもは自己肯定感が低い、未来に希望を持っていないなど。

enocoディレクターの忽那さんは、日本には広場がないーつまりここで言う「広場」とは他者の力を奪うことなく、分断されているものをつなぎとめる役割を担うものであり、この現状には公園・河川・道路を物理的に変える必要があると考えている、と。


日本は分断されているか?という質問に対して、北澤さんは、その点を考えたときに自分は非常に悲観的である。さらに「分断」という言葉から派生して、(自分は)インドネシアと日本の特性をつなぎ合わせることで作品を生み出しており、創作するための環境をつくる必要がある。

キムさんからは、日常が大事。フェスは危険な場でもあるので、一つの学びの場と捉えている。フェスを開催することが目的ではなく、あくまで手段。

韓国ではいかに市民がフェスを望むか、だからこそ予算がつくのだという考えだが、日本ではその関係が逆転している。


清水さんからはファンドレイジング・マネタイズの話。

成功しているものはビジョンが明確であり、参加者が共有できるものがあり、覚醒されるものになっている、と。

アートの評価基準についてはまだまだ議論の余地が残されている。その際、アートからの評価だけではダメ。

海外では支援のための財団も多様化しているが、日本はまだそうなっていない。


関連してキムさんからは、韓国では自治体ごとに様々な財団が発展しており、それらがフェスの成功にも大きな役割を果たしているという話が。

そしてそこでは、アーティストだけではなくプロデューサー(文化のつなぎ手として、アーティストと市民をつなげる橋のような役割を担える人)が求められている。


(誰が言ったか忘れてしまったが)日本の民主主義はこれからがはじまりであり、公共空間のあり方の議論をはじめるべきだ。


北澤さんは、プロデューサーがマネタイズしてアーティストを選ぶという現在のアンチテーゼとして、アーティストを組織や団体のトップに立って、新しい理想を社会に提案するという体制も考えられるのではないかと。

まちづくりのためにアートが用いられる場合があるが、「まちづくり」のためにアートがあるのではなく、アート作品(プロジェクト)は、アートが第一。そういう順番でないと、「おもしろく」ならない、と。

そのために、あえて「アーティスト」と名乗る必要もある。


それを受けてキムさんが、物事はまず自分からはじまるのだ。

コミュニティや国家のためという大義名分を掲げることは危険で、「自分」の力で変化を起こす方が長い目で見るといい変化を起こせるだろう、と。


武田さんは、最近「擬態」という言葉に関心がある。どんな仕組みをつくれるか、そのための対話を重ねたい、と。


文字で残すには力量が足りず残念だけど、それぞれの発言に刺激を受けたフォーラムでした。

自分の進む方向性が見えたような気がしました。

最近、「アメリカにおける社会主義の復権」という話をよく聞く。

2018年の米中間選挙で現職を打ち破り、史上最年少の下院議員となった民主党のオカシオ=コルテス(アメリカ民主社会主義者のメンバーでもあり、2016年のアメリカ大統領選の際にはサンダースの選挙事務局でオーガナイザーを務めた)や、民主社会主義者を自認するバーニー・サンダースが注目を集めるなど、たしかに勢いはある(ただ、厳密には彼らは「社会民主主義者」であり、後述するが、彼らの言う「福祉の充実」はおそらく北欧型の「社会民主主義」で、マルクスの定めた「社会主義」とは異なる)。


▶︎アメリカの若者に広がる ソーシャリズム なぜいま社会主義?|NHK WEB特集(2019/10/11)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012121891000.html


▶︎資本主義「善より害悪」56% 28国・地域世論調査|しんぶん赤旗(2020/1/22)

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-01-22/2020012201_03_1.html

※この記事で紹介されている米大手広報会社エデルマンの発表はこちら


先日閉会した日本共産党第28回大会の結語でも、志位委員長が「ピュー・リサーチ・センター」の調査結果を引用して、「最近、大手世論調査会社「ピューリサーチ」が実施した世論調査(2019年4~5月に調査)では、若い「ミレニアル世代」――23~38歳の半数が社会主義を肯定的に見ているとの結果が明らかになりました」と述べた。

たしかに、DSA(Democratic Socialists of America/アメリカ民主社会主義者)の党員数は、2016年から2018年のわずか2年の間に40,000人以上も増加しているようで、サンダース人気と相まって確実に勢力を拡大している。

ただ、そうは言ってもアメリカ社会をダイナミックに動かしていくには及んでいないだろうし、そもそも「資本主義」の権化のようなあの国で支持される「社会主義」なるものの内容が気になったので、ピュー・リサーチ・センターのデータをみてみた。


▶︎ピュー・リサーチ・センター(2019/10/7)

”In Their Own Words: Behind Americans’ Views of ‘Socialism’ and ‘Capitalism’”

(自分の言葉で:「社会主義」と「資本主義」に対するアメリカ人の見解の裏側)

https://www.people-press.org/2019/10/07/in-their-own-words-behind-americans-views-of-socialism-and-capitalism/


本文を引用する。「アメリカ人の55%が社会主義に対して否定的な印象を持っている一方、42%が肯定的な見方をしていることを発見した。3分の2(65%)は資本主義に対して肯定的な見方をしており、3分の1は資本主義を否定的に見ている」とあり、たしかに、現在の世界を覆っている資本主義に対して否定的な見方が少なくないようだ。


注目すべきは、それらの人々が資本主義と社会主義それぞれのどこを肯定的に、どこを否定的に見ているかどうかだ。


[社会主義に否定的な印象を持っている人の意見]


1.労働倫理を弱め、政府への依存度を高める(19%)

ー私は個人の自由と選択を信じている。社会主義は、人々がイノベーションを起こし、成功のはしごを登るインセンティブを殺す。(53歳男性)


2.歴史的および比較上の失敗(18%)

歴史的にーベネズエラやロシアなどの国で、社会主義がいかに失敗したかに基づく意見。


3.一般的な否定(17%)


4.民主主義を損なう/米国には適さない(17%)


あとには、資本主義のほうが優れている(4%)、社会主義と資本主義の融合を望む(2%)と続く。


[社会主義に肯定的な印象を持っている人の意見]


1.社会主義がより公平で寛大な社会をもたらす(31%)


2.社会主義は資本主義に基づいて改善するものだから(20%)

ーこの意見を上げる中には、米国はすでに政治プログラムの中で社会主義的な側面を持っているという人も存在し、社会主義と資本主義の融合を望んでいる人も存在する。


3.歴史的および比較上の成功(6%)

ー社会主義に対して否定的な見方をする人の中には、ベネズエラのような国と結びつける人がいる一方、社会福祉の充実したデンマークやフィンランドを社会主義の成功モデルとして考える人もいる。社会主義を肯定的に見ている人は、社会主義がヨーロッパでどのように機能したかを挙げる人が多い。


ほか、資本主義よりも優れている(4%)、一般的な肯定(4%)と続く。


では、現在、多くの人がこの社会が未来永劫続くと信じて疑わない資本主義に対する意見はどうだろうか。


肯定的に見る人の多くは、資本主義が個々の金融成長の機会を提供している(24%)、一般的な肯定(22%)、アメリカに不可欠(20%)とする一方、いいシステムだが完璧ではない(14%)≒他のシステムとの融合を期待するとする意見も肯定側に含まれている。

やはり資本主義大国であるアメリカらしく、資本主義がアメリカの経済力を向上させ、資本主義は自由の維持に不可欠であると言及する傾向がある。


一方、資本主義を否定的に見ている中では、資本主義が不公平な経済構造をつくり出し、少数の人々またはすでに富んでいる人にのみ利益をもたらす(23%)という意見が最多。

次に、資本主義には搾取的で腐敗した性質があり、多くの場合、人々や環境を傷つける(20%)といった見方や、企業と裕福な人々が政治問題についてもあまりにも多くの力を持っていることによって、民主的なプロセスを弱体化させる(8%)、資本主義が機能する可能性があるとすれば、よりより監視と規制が必要である(4%)といった見方が続く。


これらの見立ての多くは、資本主義システムがこれだけ根付いた社会であるにも関わらず、生物学的本能とも言うべきか、正しいように思う。

資本主義以前は、封建制社会であった。そこでは階級がはっきり区別され、自由な職業選択や自由な経済活動を営むことは多くの人には許されていなかった。

労働によって賃金を得て、自由な経済活動ができる。そういう社会を資本主義は実現させた。

しかし一方で、何ら制御を加えられない資本主義は暴走する。

そこでは児童労働が行われ、文字通り寝る間も食事する間もなく、人は機械のペースに合わせて働くことを求められた。まさに人は歯車の一部(産業革命時の機械は恐ろしく巨大だ。少しの不注意によって命を落としただろうことが容易に想像される)であり、労働者ではなく単なる労働力として存在価値を与えられた。

そうした中で、児童労働の禁止や労働時間の短縮といった労働者としての権利を求める闘いが行われ、まさに民が主導の「民主的改革」によって、皮肉なことに、資本主義は現在まで生きながらえることができたのだ。

資本主義なくして民主主義は発展せず、民主主義なくして資本主義は発展せず(民主的な改革がなければ、獰猛な資本主義は人間を搾取し続け、最後には己の身を喰らって破局へと至っただろう)。


加えて大切なことは、マルクスは、そのような資本主義の研究・発展の先に社会主義・共産主義の未来を見たことだ。

この調査結果からもわかるように、社会主義を肯定的に見る中には、北欧型の福祉国家ー修正主義や社会民主主義と言われるものを求める意見が多い。

おそらくこの考え方は、日本共産党が綱領に明記する「(社会主義・共産主義への発展の前に)資本主義の枠内で解決する」段階の問題であるし、特にアメリカのように国民皆保険の制度もないような国では、まずはこの分野での改善が求められていることは理解できる。

改悪が続くとは言え、日本の社会保障制度も一定の水準にまでは達していたはずだ。

前述したように、民主主義的な改革によって達成されてきた事柄は多く、すでに今、資本が制御できないモンスターとして暴れ回っているという状況とは異なり、多くの国では一定の社会保障・福祉が制度として機能している。


そのことを思えば、多くの人が、今のような社会が未来永劫続くと考えることは理解できるのだが、資本主義が存在する以上、資本の暴走とそれを制御しようとする政治・民主主義的闘いはいたちごっこが続くだけだ。

そのいたちごっこを終わらせるための改革が、「生産手段の社会化」だ。

資本主義社会においては、大量生産・大量消費によって資本家は利益を得ていると思われているし、それを全否定はしないが、マルクスが資本論で明かしたのは、「資本家は労働者の生み出す剰余価値によって利益を増やしている」ということだ。

つまり、労働者の提供する労働力に対して相応の対価を払わないことによって、資本家は利益を生み出している。


マルクスは、物を生産するための原料(=労働対象)と、工場や機械など(=労働手段)のことを「生産手段」として定義し、これらが人間の労働力と結合することによって生産物が生み出されるのだが、その生産手段を資本家が一手に握っている状態では、労働者と資本家、被雇用者と雇用者の力関係は対等ではない。

本来であれば、会社の社長であっても、その他役職にあっても、管理職以外の労働者であっても、それは職能の違い、役割分担の違いというだけで、関係としては対等であるべきだ。

従業員がいなければ、社長は商品を生み出すことはできない。


「生産手段の社会化」をイメージできないという意見に対して、「協同組合」が例に話されることも多いが、「生産手段の社会化」は、この社会においてまだ誰も見たことのない到達点であって、組織によってどのような形態をとるかは一律に決められるものではない。

ただ重要なことは、組織内における労働力の搾取をなくし、雇用者と被雇用者が対等な関係で働くことのできる環境をつくり出すことだ。


資本の暴走とそれを制御しようと働く政治・民主主義的な力のいたちごっこから抜け出るエポックメイキングな出来事が起こることを祈る気持ちだが、口を開けて待っているだけではつまらない。

おそらく、資本主義も夢見ている。

いつか自分自身を乗り越える社会が現れ、その役目を終える日が来ることを。


※間違っていることがあれば教えてください。

全ての要素が映画をドラマチックにするためではなく有機的に作用しながら、つくり手が観客に掲示したいテーマを効果的に伝えるための手段としての役割を果たし、それでいて観客を近づけも遠ざけもしない。

(作品のテーマというより、ケン・ローチの心が伝わってくる)

観終えたあとは圧巻の出来栄えにただ放心し、いまも自分が本作に抱いた感想をうまく言葉にできる自信がない。

とにかく観てくれという気持ちです。

こんなに見事な映画はなかなかほかに思いつかない。


特筆すべきはタイトル。

「家族を想うとき」という邦題も悪くはない。

悪くはないが、やはり映画の内容にピタリとハマっているのは原題の”Sorry We Missed You”だ。

劇中明かされるのだが、”Sorry We Missed You”は宅配の不在票に書かれる言葉らしい。

「あなたに会えなかったので、荷物をお渡しすることができませんでした」というような意味。

言葉をそのまま受け取ると単なる不在票なのだが、映画の上映中、ふと思った。

これは、必死で生きようとするターナー家を、社会が見逃してしまってごめんなさいという意味なのかもしれない。

さらに、不安定な家庭の経済事情に影響され、お互いにお互いを見失ってしまっている家族同士を表している言葉なのかもしれない。

胸が締めつけられる思いがした。


イギリスのニューカッスルで暮らすターナー家。

父・リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして新たな仕事をはじめる(彼がなぜこのような不安定で何の保障もないこの仕事を選ぶに至ったかということが劇中明かされる)。

母・アビーは、パートの介護福祉士として働いている。

フランチャイズの宅配ドライバーも大概な仕事だが、介護福祉士の仕事の実態も相当なものだ。

日本における介護福祉士の実態とそう変わらない。

彼女は時間単位で利用者の家をまわらなければならないが、リッキーが仕事用の車を調達しなければならないため車を手放し、バスで移動しなければならなくなる。

仕事の合間の移動中にも家族に電話をかけ、家族の面倒を見なければならない。

そんな大変な中でも彼女は介護福祉士としての仕事を全うし、会社の決めた制約に疑問を感じながらも精一杯働いている。

利用者の思いに沿った介護をしたいのに、会社が定めたルールに従わなければならない。

しかし介護職は、人と人とが直接交わる仕事だ。もどかしく揺れる彼女の気持ちが伝わって苦しくなる。


アビーも時間に紐付けされているのだが、それはトイレを行く時間もなく、運転席に座っているかどうかまで機械で管理されているリッキーも同じだ。

さらにアビー自身が娘のライザに、自分が不在の間、何時になったら何をして…、ゲームは○時間まで、と携帯で連絡している姿が印象的だった。

現代人はかくも時間に管理されている。


彼らの望みは、マイホームを買うこと。そのために必死なのだ。

2人の子どものうち、兄のセブは親に反発気味。

妹のライザはいわゆる「いい子」だが、やはり親の不安定な感情が彼女にも伝播してしまう。

昨今の日本では自助努力をせよという「自己責任論」が人々の心にすっかり浸透してしまった感があるが、ターナー家の生き様を見てもわかる。

誰もはじめから、他人に頼って楽をしようなんて考えていない。

ギリギリまで自分の力で何とかしようともがくのだ。

しかし現実は、努力したことが全て報われるわけではない。

もがけばもがくほど沼に入り込んでしまい、結果、自分一人の力では抜け出せないところまで至ってしまうこともある。

それがこのターナー家だ。


個人の努力でどうにもならなくなる前の早い段階における公的な支援が、絶対的に不足している。

建設作業員として真面目に働いていたリッキー。そのまま順調に行けば、マイホームも手の届く未来だったはずだ。

しかし金融危機の影響で仕事を失い、再就職はどこにもなく、フランチャイズの宅配ドライバーという不安定な職業を選択せざるを得ない。

劇中登場する、幸せにあふれたリッキーとアビーの若い頃の写真に胸がつまる。


最近、黒ナンバーの白のワゴン車をよく見かけるので、個人事業主の宅配ドライバーは日本でも増えているのだろうから、問題が顕在化するのも時間の問題だろう。

ただ、まだまだ一般的ではないので、フランチャイズの個人事業主というとコンビニオーナーの方が身近だ。

(余談だが、南アフリカへ行ったときにはUberがとても便利だった。ドライバーも、若いのにいい車に乗っていた。Uberを生業にしているのかはわからないが羽振りはよさそうだったので、途上国と先進国におけるギグ・エコノミーの違いはあるのだろうと感じた)


ターナー家に起こることは、悪いことばかりではない。

しかし、次々と試練が訪れる。

少しずつ少しずつ、家族の関係が壊れていく。そして……。

このあとターナー家がどういう運命を辿ることになったのか、劇中では示されない。

命を落とすところまで描かれた「わたしは、ダニエル・ブレイク」と比べると、死んではいないだけ希望はある。

この家族が幸せになることを願いつつ、何らかの要因で困難を抱えた人に対して、できるだけ早い段階で公的支援が届く社会になるための働きをしたいと強く思った。

(そしてそれは自分のためでもある。誰もがこの事態と無関係ではないのだ)


▶︎公式ウェブサイト

リリシズム(lyricism):抒情主義


大島渚というと、若い頃のふっくらとした姿よりも、後年の痩せて眼光が鋭く、野坂昭如と殴り合いの乱闘を繰り広げたとか、ある種暴力的なイメージが強い。

https://www.youtube.com/watch?v=n1CNy0eIzuY


表題の本には、撮影所で生きた大島渚の体験が集約されていて、いま読むと歴史の証人といった内容になっていておもしろい。

また、日本の撮影所というシステムがいかに映画監督ほかスタッフや俳優を育て、すばらしい作品を世に送り出してきたかという実感をくれる。

映画監督協会の仕事に従事していたこともあるらしく(1980年には理事長になる)、スタッフの権利を守る仕事も行っていた。

稀代の映画監督がいかに考え、働き、映画という産業に身を投じていたかを知るためにうってつけの一冊。


たとえば映画監督について、こう言っている。


>>

重要なのは、一人のすぐれた監督が出ることではなく、多くのすぐれた監督が出て、日本映画そのものがよくなることである。それを信じなければスタッフ達は何を希望として働くのか判らないではないか。

その第一歩は今井正達先人の問題を中平・増村が背負って、その上に彼等の革新をなしとげることである。果敢な発言をする勇気を持つ彼等が、重荷を背負う力量と誠実を併せ持つことである。

<<


日本の映画監督が立たされる貧困な状況については、

>>

しかしすべての作家は絶えず衰弱の淵に立たされているのである。

一度主体を失えば、転落の道はあまりにも早い。あとはただ自動的に映画が生産されて行く過程の一つのネジになるにすぎない。

<中略>  

「勝手にしやがれ」(ジャン=リュック・ゴダール)を映画の魅力が不連続の連続にあることを再認識させた点で実にすばらしい映画だと思うが、あの中には作者が映画監督で一生食おうなどと考えていない良さがある。

作家の主体が見事に貫けている原因はそこにあるとさえ思われる。

貧しい日本の映画監督、映画人たちはそうはいかないのである。職業としての仕事の永続性を考えないわけに行かない。そこには当然陥し穴がある。

主体を喪失してしまった方が或る意味で楽な立場が待っている。

それらにおちいらぬために、作家は一つ一つの作品、一つ一つのカットの中に常に自己の主体の所在を検証しながら撮り続けていく外はない。そしてそのことではじめて観客と”にせ”でないつながりを持つことが出来るであろう。

<<


ルイ・マルをはじめとしたフランスの新人監督たちについて。

>>

思うにマルは映画を愛し信じすぎているのではないか?

これは一部を除いて外のフランスの新人達すべてに言えることであると思うが、彼等は一度きっぱりと映画なんて何だ!と言い切ってみる必要があるのではないか?

そうでなければ彼等の現実意識と映画のイメージの逆転した関係は全く変わりようがないと思われるのである。

(マルの言葉)「私は、映画の観客の進歩を信じています。人々が、ひまな二時間をつぶすために映画館に行くという時代は、すでに終わったと思います。映画の観客は、少しずつではありますが小説の読者に近づきつつあります。……まだまだ時間がかかるとしても、私たちは、映画から<大衆の阿片的要素>を取り去るべく努力すべきでしょう。ねむるために映画館へ行くのではなく、映画館に行くには、前の夜ぐっすりねむっておくようになるべきなのです」

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そうした時代に映画作家に最も要求されるのは作家の現実意識と映画のイメージの正しいかかわり方であろう。それ以外に観客を映画につなぎとめる力はないことを、このすぐれた映画のイメージに溢れた映画『地下鉄のザジ』は教えてくれる、とも語っている。


映画論や映画監督だけでなく、個人名を出して何名かの俳優についても語っているが、特に悪女を演じる岡田茉莉子と仲代達矢への賛辞はものすごい。

仲代達矢さんといえばいまも現役バリバリのすばらしい俳優に間違いはないのだけど、若い頃は、どれだけだったんだろう…大島渚が、仲代達矢の美しさについて「それは彼の外形の美しさが彼の美しい内部に支えられているからです」とまで言っている。


そんな仲代達矢の自己の鍛錬について、こうも言っている。

すべての俳優に共通することだと思う。

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仲代達矢はじつに自分をよく訓練している俳優です(勿論、千田是也という良い指導者を得た幸せもあります)。訓練の一つの部面は、前に言った解放された自由な肉体と精神の持ち主である自分をつくるための戦いです。仲代達矢は素質に恵まれていたと同時に、この困難な戦いを実によく戦っています。

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仲代達矢は、電車や街中で遭遇する人々の仕草や会話に注目し、ごくささいなことを昔ながらの役者根性で眺めていこうと語っている。

そしてそれを、彼は、帰宅してからやってみるのでしょう…と大島渚は推測する。


当時主流だった、スタニスラフスキー・メソッドを学ぶことからは得られないものを、仲代達矢は知っていたのだ。


ほかに、俳優についてこう語っている。

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俳優さんは己を白紙にして想定された役柄になるのではない。

あくまで、誰それというりっぱな個性を持った人間である俳優さんが、その自分の個性と役の人物の個性の絡み合いの中で一人の人間を生きるのである。

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映画監督協会の一員として闘った、映画の著作権を著作者である監督の手から離して映画会社に帰属すると定めた法律が制定されたことに関して(芸術分野での著作権は、その著作者である作家に帰属することが前提であるとして)。

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世は芸術家過保護時代である。画家よ。音楽家よ。小説家よ。あなたがたの芸術家としての権利は、法律で守られている。

あなたがたはその守られているという意味において芸術家なのだ。

映画監督は断じて芸術家ではありえない。だから、そのことを映画監督は栄光とせよ、とも言える。

私も時々、酔余、叫んでみる。

昔、小説家にだって、画家にだって、著作権を与えられない時代はあったのだ。

そのなかで、苦闘しながら、すぐれた作品を生んでいった。そして著作権を徐々に確立していったのだ。

そうした先人が確立してくれた権利によって最初から過保護されている現代日本の芸術家諸君よりは、今、何一つ保護されず、作品をつくる条件をつくるところから始めなければならない映画監督の方が、はるかにすぐれた作品をつくりうるのだ。

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日本の法律制定のおかしさについて、皮肉に富んでいる。ていうか、怒っている。


映画監督という職業について。

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私はかつて「映画をつくることは、犯罪行為である」と言った。映画をつくるに要する労力と経費に対して、その結果である収益の不確実性と期待不可能性は、この資本性社会においては、明らかに悪徳であり、犯罪的なのである。

それを自覚しながら、なお映画をつくり、しかもそこへおのれの思いを塗りこめようとする者が、犯罪者でなくて何であろう。

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大島渚の中には、革命への思いがあった。

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今や貧富は分極化しつつあり、昭和四十年には破滅的な危機が到来すると警告した厚生白書はその片隅にすら席を与えられていないというのが、一九五八年から九年へ移り変わろうとする日本の精神的風土であり、それを反映して太平楽を並べているのが芸術の現状であるからこそ、現実を否定し変革するイメージが、しかも勝ち抜いて行くということだけはどうしても言って置かなければならないのです。

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この本の中には映画の直接のつくり手ではない、本当にいろんな人が出てくるのだけど(特に映画批評家は多い)、音楽家の林光さんとも親交があったようで驚いた。

それから本当によく登場するのは映画批評家の佐藤忠男さんなのだけど、だいたい、むっつりといった言葉がひっついていて笑える。

若い頃を存じ上げないのだけれど、なんとなくイメージできるのと、佐藤忠男さん自身が、大島渚をはじめとした当時の新進気鋭の監督の作品を批評することで自分も批評家としてのキャリアを育てたとおっしゃっているので、まあ、こんなふうに言えるくらいには親交があったのだろうと想像できて微笑ましい。


最後に、最も共感した文章を引用して終わりにしたい。

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私は死者たちをのみ愛しているのであろうか。

おそらくは、生者との愛のやりとりが、あまりにも自他を傷つけるので、愛する者を死者として封じこめようとしているのだろう。私が映画をつくるのは、そうした生者と死者の魂をしずめるためである。

同時に、おのれがいかなる人間であるかを発見してゆくことによって、おのれの魂をしずめる道を捜しているのである。

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土方与志を知っているか。


1898年生まれ。祖父は土佐藩出身の伯爵、築地小劇場を拠点に新劇運動を起こした演出家。


これまで名前は存じていたけれど、その生涯、特にその骨子を為す演劇との関わりについては知っていたようで、この本を読んではじめて知ることばかりだった。

祖父が伯爵ということと築地小劇場を起こしたことで、かなり裕福な環境だったのだろうと思っていたのだけれど、戦中の苛烈な弾圧(左翼的演劇人に対する)やソ連やパリでの亡命生活、帰国してからの獄中生活等、歴史に翻弄されつつもしっかりとした足取りで前進してきた人物なのだと知った。 


それまでの歌舞伎や新派劇に対し、ヨーロッパの演劇を模倣した新劇運動が巻き起こったのは戦前のこと。

いまでは新劇というと古いと考えられがちだけれど、それも歴史の進みの中で変わってきたことである。

それでも、実に100年ほど前の出来事になるというのに、いまの演劇シーンにも連なることを土方与志さんは問題として取り組まれていたようなので、以下、引用したい。


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こんな風にして矢つぎ早に、なんの脈略もなく、商業劇場の仕事に追われていた。劇壇の表裏も少し分かって来た。工業資本の横暴、根強く蔓った劇界内部の封建的組織、階級、下積みになっている人々の希望のない、浮かぶ瀬のない生活、門閥や家柄のいい人の傲慢な態度、無内容な馬鹿馬鹿しい、そして貪らんな生活、俳優相互間の軋轢等々、その醜さ、みじめさというようなものに眼を被いたくなるような機会に出会う事がしばしばあった。加之、所謂、贔屓客と言われるものの芸術に対する無理解や、鼻もちならない態度等々、心に『洋服』を来ている私には、堪えられない事が多々あった。

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私は日本の芝居がまだ、有閑階級の玩弄物であり、劇場は遊興場でしかない事を嘆じずにはいられなかった。

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商業演劇でテレビにも出ている有名人が出演する舞台は1万円超えのチケット代がかかることがしばしばで、最近では平日昼間の興行しか予定されていないことも多い。

客席は金銭的に余裕のありそうな、中年の女性ばかりである(すべてがそうではないけれど)。

演劇が、映画やコンサートに比べて一定の強制と忍耐とを強いるメディアであるからと言って、この門戸の狭さは一体どういうことだろうと思う。


戦後、獄中から解放され身体を休めていた那須野で、亡命中の諸外国での演劇体験や戦争で犠牲になった友との思い出を書いた「なすの夜ばなし」で、土方与志はこう宣言している。


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再び言う、新劇人よ、戦争犯罪人を告発せよ!

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彼の脳裏には、中国戦線で戦死した俳優の友田恭助、原爆に斃れたさくら隊の丸山定夫らがいた。

そしてもう一人。治安維持法違反に問われ、長い獄中生活の末に肺結核を病み、その後、病気の重篤化により亡くなった小野宮浩…。


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私は彼と同じくかの悪法(治安維持法)の被適用者だった。が、今自由の世界に生きている。彼はこの悪法によって死んだ劇界の唯一の犠牲者だ。悪法を採れるもの、戦争を挑発したもの、祖国の自由と文化の発展を阻害し破滅に立たせたもの、これみんな同一の力である。新劇人よ、自由と文化の敵に復讐しよう。世界人類の前に恥ずかしくない高い芸術を創造して、友田、丸山、小野の霊を慰めようではないか。

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またその思いに伴い、俳優の演技について、


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俳優がもっと相手の役柄を研究すること、及び特に大切なことは持役の人間の現在の心境のみならず、過去の、そして未来の生活予想をも演技創造の素材とされる事等が望ましかった。

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と、語っている。


最後に、築地小劇場創設にあたって小山内薫が残した文章を引用したい。


小山内薫 「築地小劇場はなんのために存在するか」(1924年演劇新潮掲載)

A 演劇のために 築地小劇場はー総ての劇場がそうであるようにー演劇の為に存在する。築地小劇場は演劇の為に存在する。そして、戯曲の為には存在しない。

B 未来の為に 築地小劇場は「未来」の為に存在する。未来の戯曲家の為に、未来の演出家の為にー未来の俳優の為に、ー未来の日本演劇の為に存在する。

はてなブログからのサルベージです。

(2017-08-25)

2019年のKAWASAKIしんゆり映画祭で、川崎市の介入によって一旦は上映中止となった『主戦場』が、関係者や市民の声・アクションによって上映されることになったことは喜ばしいが、その判断のメカニズムを調査することが必要だ。

あいちトリエンナーレといい、今年はこういった事件が多すぎる。


これは、カンヌ国際映画祭のグランプリを2度受賞した日本人唯一の映画監督であり、映画を志す若者の集う学校をつくり、教育者でもあった今村昌平監督の本だ。

この人のつくった学校を出たわたしは映画関係の仕事には就かなかったけれど(しかもわたしが入学する前に今村昌平監督は亡くなっているので一度もお会いしたことはない)、いま、演劇という生業を得てなぜか人材育成に惹かれているのはもしかして今村監督のスピリッツの影響をたぶんに受けているのかもしれない、なんて思ったりする。


<日本映画学校理念>

日本映画学校は、人間の尊厳、公平、自由と個性を尊重する。

個々の人間に相対し、人間とはかくも汚濁にまみれているものか、人間とはかくもピュアなるものか、何とうさんくさいものか、何と助平なものが、何と優しいものか、何と弱々しいものか、人間とは何と滑稽なものかを真剣に問い、総じて人間とは何と面白いものかを知って欲しい。

そしてこれを問う己は一体何なのかと反問して欲しい。

個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある。


高校3年生だった当時、学校案内のパンフレットだかホームページだかでこの文章を読んだわたしは、何とかっこいい文章なのかと感銘を受けた。

関西に住んでいるので大阪芸術大学や、立命館大学に新設される映像学科(こちらは講師に山田洋次監督がいる)でもよかったけれど、ほかの学校は眼中にないくらいこの学校しかないと思っていた。 

この本の編著に名を連ねる佐藤忠男さんは映画批評家(というのか)で、長くこの学校に関わり、校長としての任にも就いてきた。

この人の批評には、映画への愛があり、映画をつくる人への尊重がある。

それは生徒のつくったものに対しても変わらないし、けなすだけの批評はしない。本当にすばらしい映画批評家だと思う。


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私が今村昌平さんと知り合ったのは一九五八年である。

彼の監督第三作の「果てしなき欲望」を見て、この野放図な新人こそは次の時代の日本映画を背負う大物だと確信して映画雑誌の編集者としてインタビューに行ったのである。

増村保造や大島渚が相次いでデビューした時期であり、私は彼らの新しさを力説することで自分も新進の映画批評家としての立場を固めた。

一九六〇年前後はめくるめくような”われらの時代だった。”  

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以前に読んだ大島渚の本で何度も名前が出ていたのは、こういうことなんだ。映画監督と映画批評家、立場は違えど、映画を愛する同士影響し合い、通じるものがあるのだ。


話は、現・日本映画大学の前身、日本映画学校のそのまた前身、つまりこの学校の礎である横浜放送映画専門学院の開校前夜からはじまる。

この頃はまだ演劇科があったようで、その講師陣の顔ぶれがすごい。 演劇科の講師であった沼田幸二さんがこう書いている。


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私たち演劇科のスタッフは、今村昌平学院長から招集を受けて、代々木上原の今村宅に集まった。演劇科のレギュラー講師陣、初めての顔合わせであった。小沢昭一、岩村久雄、関矢幸雄、岡田和夫と私。

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関矢さんが横浜の講師だったとは知らなかったなあ…。

今村昌平のブレーンだった小沢昭一さんが関矢さんを今村さんに紹介したらしく、演劇科の中での担当は「肉体表現」。

のちに講師となる藤田傳さんがこのメンバーに入っていないのは、このときにかぎり今村昌平と仲違いしていたかららしい…。

この学校の伝説の農業体験のことも詳しく書いている。わたしもこれ、体験したかったのだけど入学したときにはすでにやっていなかった。代わりに「人間研究」という授業に変わっていた。

これはこれでおもしろかったけれど。


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農業体験初日、各農家へ学生を振り分ける際に、 「強そう!」とか「めんこい!」とか、一人ひとり学生の感想を声にして言うオッサンがいた。

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とある。いいなあ、こういうの。


この思いつきのようにはじまった農業体験の経緯、それこそ受け入れ農家探しから…について、今村監督はこう書いている。


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農村に向う学生たちへ——(抜粋)

——今、日本で百姓をやることはワリが合わない。

——今、日本で映画監督をやることもワリが合わない。

映画監督も百姓も、ゼロからものを創り出すのは同じで”もの創り”は今や全くワリがワルイのである。

ワリのワルイことをやりたい諸君に、ワリのワルイ百姓を是非やってみて欲しいと思うのだ。

そして自分たちが将来、どんなにワリのワルイことをやっていくのかを痛切に知ってもらいたい。

今村昌平

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演劇も全くそうだ。ああほんと、ほんとに、ほんとーにワリに合わない。でもたぶん、ワリに合うことならわたしは辞めている。

そもそも、どうせ死ぬっていうのに生きていること自体がワリに合わないもの。


横浜の二期生の入学式のあいさつで、今村監督は「創造の道」についてこう語りかけている。


>>

映画、テレビ、演劇など、自分以外に頼るものがない世界に身を投じようという気力をもちあわせた若い創り手たちには、敬意を表したい。

だが、敬意を表すると同時に、緊張を強いたくもなる。

なぜなら、創造の道というものは、大変困難な道であるからです。

創造する喜びなんて言葉は、大変美しいが、それには、肌身を突き刺すような痛みや苦しみが伴うので、そうそう気楽に喜びなんていえるようなものじゃない。

<中略>

では、売れやすいものを創ればいいかというと、そうでもない。

自分の主張を曲げてまで、売れやすいものを創るくらいなら、初めから創らない方がいい。食うためにのみ創るのだったら、女をつくって、ヒモになった方がましである。

何を創り出して、その結果がどういう意味をもつかということは、創り手の側に責任があります。

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ここまで言ってくれる「先生」、ふつういるだろうか。  

同じ創り手(として生きるであろう)生徒を対等にみてくれている気がする。

こうも言っている。


>>

いまの大部分の若者たちは、既成のレールの上を、安穏と気楽に走っていこうと思っている。

しかし、この、安穏や気楽は、私たち創り手から見れば、飼い犬のそれでしかない。

既成のレールを拒否し、もの創りに邁進する者は、これはじつは野良犬へのコースなのです。

もちろん、私も野良犬だから、おとなしい、いうことをきく飼い犬に出会いたいという気は毛頭ない。

私は常に、将来、狼になるような野良犬に出会いたいと思っている。

できれば、考える狼に。

だから、意地と強さを身につけ、考える狼としての誇りを捨てないための暮らしぶりをするべきである。

教育といえども、もの創りである以上、人格と人格のぶつかり合いである。

教育の場は、自由な個人の集まりです。

私は、この学院が、失われた人間関係を再会していく、つまり、未来にとっての広場の意味をもつことを希望している。

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日本映画学校の二期生にはこう語る。


>>

映画を観ることが好きだということと、己を創る側に投入することとはまるで違う。

そこは常識の支配する世界ではない。

我々は既設のレールなど物ともしない、勇気ある若者を求める。

彼らは少々「非常識」かもしれない。

しかし「常識」が何ほど、新しい文化の創造に寄与し得たか。 

君に才能があるかないか、そんなことは我々にだって分かりはしない。

レールのない曠野を望む時、君は不安に震えるだろう。

その不安を克服する時、いや少なくとも克服すべく、走り出した時——すべての判断は、その時なされるだろう。

勇気がいる、たしかに勇気がいる。

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『豚と軍艦』という映画の撮影のために、横須賀へ調査に行った話も楽しい。


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その時に、恐ろしい向こう傷をもって、久里浜かどこかで妾宅を改造して住んでいる、ピストル密造が生業の、ケンちゃんという男がいた。この男と極めて仲良しになりまして、この男といろいろ話をしている中で——彼は自分たちのことを「遊び人」と称しておりましたが——「真面目に働いていたって、非常に苦しい世の中である。

まして、我々、遊んで暮らしている者のつらさったらいいようがない」なんていうんですね(笑)。 

だから、調査というものは 非常に大事であるからして、劇映画のリアリティを求めるというものからドキュメンタリーへの指向は目ざめていたわけで、自然に、その製作へ移行していったわけです。

調査というものは、格好よくいえば、真実に肉薄しようということだといえる。

ただし、私は、調査は「表層」だけを追うものであってはいけないと思う。

「表層」ではなく、「基層」世界を調査する。そこに着眼すると、底にある真実に多少触れることができるのかもしれない。

私のドキュメンタリーへの指向はそこにあるといっても過言ではないと思います。

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ここで、真実に「多少」触れることができるのかもしれないと言っていることがいいと思う。

今村監督ほどの調査をもってしても、触れることができる真実というのは、「多少」なんだ。


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「文化」について  

それは、何も映画に関してだけではなく、日本の文化一般に対して言えるわけです。

確かに、日本には、歌舞伎があり、能がある。

しかし、それは、徳川三百年という鎖国の状況の中で、特に日本は大陸の端にくっ付いている小島であるからして、文化の流通というものに乏しいわけですね。

しかも、太平洋という大きな溝がある。

だから、日本では、文化というものが、重層的に折り重なって、東から西に流れていかない。

常に西から来る。それでいて、東に流れていかない。

これは、世界の文化の流れから見て変なことだと思う。

鎖国という中で、文化の流入はあるけど、流出はしない。そういったことは、世界に例がないわけですね。

そういった中で、文化というものはどうなっていくかというと、一つの退廃をしたと思います。

私は、歌舞伎を観る時に、特にそう思う。あれは、退廃の美しさだと思う。

歴史がだんだん重なって、底の方から堆肥の臭いがしてきて、ほろあったかくなるなんていうような退廃の中にある美しさというものが、歌舞伎の美しさだとも考えられます。

それは、確かに日本的であるには違いないんだけど、三百年の鎖国というかなり奇怪な、面妖な歴史的な時間の中で特に現れた形だと見られる。

何をもって生きるかわからず、そういったポリシーなしに、戦後何十年、馬車馬のように働いた中年者たちがそこにいるだけですね。

「そんなに働いてどうするのか?」と問いつめていくと、詰まって返事もできないというおとっつぁんたちが、山のようにいるわけです。

もちろん、彼らを責めることはできません。

だけども、ものを創るものは、「何のために生きるか」といったようなポリシーを、発見していかなければならないんだと思う。

その一つの方法として、僕は日本民族の伝統的な社会の中に、まだ残像として残っている心というものを、創造の、一つのよすがにしたいと考えるわけです。

本来、”創造すること”を他者から学ぶことはできない。

創造は終に個人的なものであり、ほんの少しの手助けをも拒否するものだから。

だが、”創造する態度”を学ぶことはできるし、また、創造するための基本的教養を身につけることはできる。

従って、我々の通念にあるところの経済行動というものは、私は、お金のことを考えなければいけないプロデュース部分とディレクターの部分を持っていたのだが、ディレクターの部分は、はるかにプロデュース部分よりも強く、経済観念をなぎ倒したわけですね。

そういったことは、滑稽な、非常識な部分ではありますが、非常識しかモノを創ることはできないのであります。

だから、非常識はそうとういいのである。

常識はよくないのであります。そこに僕らは、立脚しなきゃならない。

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わたしはたったひとりだけ、この学校を卒業して同じ業界で働いている先輩を知っているけれど、本作によると劇団「風の子」に入った方もいるようだ。

はてなブログ(2017-08-01)からのサルベージです。

「公」「公共」など、いま旬なワードが並んでいたので。

思えば東さんはこの頃も「左翼」から叩かれてたんだけど(積極的棄権の直前か)、この対談当時からもっともっと遠いところへ行っちゃったな。


「アンラッキーヤングメン」という漫画を読んで、衝撃を受けた。

山本直樹や岡崎京子、楳図かずお等々といったいわゆるサブカル系とよばれる漫画を愛読するようになったのも、もしかしたらこの漫画がきっかけだったかもしれない。

連合赤軍事件について興味を持ち、関連書籍を読みはじめたのは間違いなくこの漫画を読んでからだ。

関連して、永山則夫の本も多少は読んだ。でもなぜか、どれも最後まで読みきることはできなかった。


「アンラッキーヤングメン」の舞台は1968年。日本では学生運動真っ只中の頃。

永山則夫連続射殺事件・連合赤軍事件・三億円事件といった歴史に残る昭和の大事件が互いにリンクし、永山則夫、永田洋子、三島由紀夫といった人物をモデルとしたキャラクターが登場する。

いまでは亡くなった人物がほとんどだが、いまも活躍をつづける北野武をモデルとした人物も登場する(彼には、永山則夫と同時期に同じジャズ喫茶で働いていた過去がある)。

「アンラッキーヤングメン」に関してはいくら語っても語り足りないほど思い入れがある。

ここから大塚英志原作の漫画というものに興味を持ったわたしは、その後、「くもはち。」「探偵儀式」「八雲百怪」「東京事件」「とでんか」「三つ目の夢二」「北神伝綺」「木島日記」といった漫画をむさぼるように読んでいった。

「アンラッキーヤングメン」ほどではないが、「八雲百怪」「東京事件」「三つ目の夢二」「木島日記」にはかなりハマった。

おそらく大塚英志原作ものとして最も有名である「多重人格探偵サイコ」は一巻をパラパラっと読んだだけだ。なんでだろう、あまり読みたいと思わなかった。ただ、ルーシー・モノストーンというキャラクターには心惹かれるモノがあって、ネットでいろいろとみた記憶がある。


多分、大塚英志いうところの「偽史」的な色合いの濃い作品の方が好みなのだろうなぁ。

漫画だけでなく、著作も少しは読んでいる。「物語消費論」「少女民俗学」「りぼんのふろくと乙女ちっくの時代」「戦後まんがの表現空間」「彼女たちの連合赤軍」「サブカルチャー文学論」「捨て子たちの民俗学」ーー思ったよりも、けっこう読んでいる。

でも、彼の著作はこんなもんじゃない。ゆくゆくは網羅したい。


大塚英志の熱烈なファンではあるのだけど、対して、この「リアルのゆくえ」という本で彼の対談する相手の東浩紀は、よく知らない。

というか、彼の本を読んだことがない。本を読んだことがないというのに、東浩紀のツイッターはフォローして、逐一動向や発言をチェックはしている(←当時、わたしは東さんをフォローしてたのか!驚いた)。

わたしの知っている東浩紀という人は、彼の主宰する「ゲンロン」にまつわる少しの事柄とか、平田オリザはもとより、彼より若い世代の演劇人、演出家をゲンロンのゲストに呼んでいることだとか、チェルノブイリのダークツーリズムのことだとか、まあ、そんなくらい。

ああ、あとは最近、「 クレーマー集団と化した左翼とは完全に話があわなくなってしまったが、いまさらネトウヨにもなれない。ぼくはいったどこに行けばよいのだろうか・・・って、ぼくみたいなひといっぱいいると思うんだけど、どうしてこの立場を代表する政治勢力が現れないんだろうな。それこそが現代の病理か」ってつぶやいて、テンテンコにダサいってディスられて、炎上して、このツイート削除して、ってことくらいは知っている。


東さんの斜にかまえた感じがどうも他人事にはみえないので、個人的には好きにも嫌いにもなれない人だ。

余談が長くなってしまったが、ともかく、表題の本を読み終えたことを記録しておきたい。

この本は、2001年、2002年、2007年、2008年と、大塚英志と東浩紀が4回に渡り対談した内容から構成されており、多分にその時代背景を投影している。

ところがその後、2011年に日本は激変したので、そろそろもう一度対談して、そこのところを踏まえた発言を聞きたいなあと思う。


以下、印象に残った発言。


<東> 物語そのものは求められているけど、その質は変わっている。ギャルゲーが典型的だと思いますけど、ギャルゲーの物語なんて誰も読んでないわけです。すごいスピードでリターンキーを押し続けるだけで、裏返せば、そこには読み飛ばしても分かるような内容しか語られていない。これがいま求められている物語の基本だと思う。定型に還元された物語と効率のよい感情移入のシステム。そうした変化の条件として、インターネットの出現は大きいでしょう。


<東> 本にせよなんにせよ、昔は作り手が作品のデータをすべて用意するというのが原則だったと思うんです。つまり、物語だったら、とりあえず語られたもので十分な情報が伝えられると。ところが、ライトノベルの書き方なんか見ると、作者はあちこちに感情移入の付箋を貼っておいて、あとは受け手の側で好きなように解凍してくれ、といった感じなんですね。このようなコミュニケーションが成立するためには、受け手と作り手が共通のデータベースを持っていないといけないわけだから、仲間うちだけの閉じた作品になる可能性は高い。

<中略>この場合、いい小説とは、できるだけ多様な感情をできるだけ効率よく圧縮したものということになるでしょうね。つまり、適度な量で物語も平凡だけど、感情を喚起するポイントがとにかく満載されているもの。<中略> 純文学系の小説は、作者が書くべきことをすべて握っていて、言語化する段階で七、八割くらいに再現度が落ち、さらに読者が読む時点では四割くらいに落ちる、という発想で作られている。

<中略>ところがライトノベルでは、作者は四割ぐらいの情報しか出さず、残り六割は読者のほうで補えという感じで作られている。


なるほど、と思った。

劇団内で作品の検討をする際に、20代であるわたしと50〜60代以上の先輩とで好みがまったく違うということによく直面するが、それは多分、わたしが、東さん言うところのライトノベル的表現にどっぷりハマっているため(小説にかぎらず、映画も舞台も、ライトノベル的表現が多いのではないか)なのだと思った。


赤木智弘さんに代表される、小さなところで他者を引きずりおろすことを主張する心理について。

<東> 今までは、友達の私生活とか人びとの生活とかはあまり見えなかった。ところがブログとかで、みんながすごく書くようになった。俺はあのレストランに行ったとか、どこを旅行したとか。すごい金持ちは昔からいたけれど、それはある意味では虚構の存在みたいなものなので、彼らが結婚式で何億円使おうが関係ない。ところが、いまや小さな差異こそが見えるようになってしまった。そして、小さい差異のほうが人間の嫉妬を駆り立てるので、こんな話になっちゃった。


この本で度々言及される「公共性」について。

(大塚さんと東さんの認識する公共性は、互いに少しズレがあって時折噛み合わない)

 <東> 問題は、権威というか、固有名が出ている人間が少数で何かを選ぶことへの不信感がすごく強まった、ということです。その不信感自体は正しいんだけど、結果として出てきたのが、名前がない多数が空気を読みあって決めるという、もっとわけのわからない状況。<中略> 大塚さんはそれを批判しますけど、ぼくはそう簡単には言えません。だって、繰り返しますが、もともとの出発点は正しいわけです。少人数で密室で決めるよりも、多人数でオープンに決めたほうがいい。小さなサークルで論壇人がプロレスをやっているよりも、2ちゃんねるでわいわい議論したほうがいい。そういう点では、確実に言説は民主化されているわけです。ただし、そこで、多人数の一人一人は責任をとらないことになってしまった。


安倍政権の提出した憲法草案には、「公益および公の秩序」という言葉がえらく盛り込まれているらしい。 いったい、「公」とはなんだろう。


民間の劇団で働きはじめてから5年間、「公」「公共」という言葉にひどく泣かされてきた。

一民間である以上、わたしたちは営利企業としてみられるし、また実際そうである。

しかしどうも、「こどものための演劇」と「営利」というのは二律背反したものにみえるみたいなのだ。日本では、こどものものというと行政がお金を出すかわりに無料のことも多いからね。

だからなんで、チケット代にこんなにかかるのか、こどものためのものなのに有料なのかと、あたりまえのように思うのだろう。

そりゃ、チケット代が無料になれば今以上のこどもたちと出会うことができるだろうし、お金の心配をせずに生きられるなら誰だってそうしたい。

でもわたしたちは現に仕事をしてお金を稼ぎ、衣食住を整え、将来に備え、少ない稼ぎから税金を払い、そうして生きていかなくてはいけない。

それはわたしたちも、行政で働く人間も、観客も、まったく同じ条件だと思うのだけれど、そんなことには考えの及ばない人間が多くいる。


仕事上大きな関わりのある行政(それこそわたしたちが公演で使用するのは、その大部分が公立ホールなわけで)からは一民間の営利企業だとみなされ、援助はほぼ得られない。

しかし観客の側からは、こどものための演劇をしている劇団だということで、ある程度、公の、行政に近しい存在としてみられる。

いったい、どうしろって言うの? 霞を食って生きろとでも言いたいのだろうかと思うことが度々ある。

そんなことを言ったら袋叩きにあって、おまえの仕事なんて代わりはいくらでもいるし、そんな遊びの延長みたいな仕事で稼ぐなんてけしからんから辞めろと言われるのがオチだろうね。涙が出そう。 


こんなわたしの切実な悩みはさておき、この、「少人数が密室で決める」ことへの反感というのを読んで、フェスティバル/トーキョーのはじまりからプログラムディレクターを務め、演劇祭を世界的なレベルに作り上げるために尽力した相馬千秋さんが、事情を明らかにされないまま突然その任を解かれたという出来事を思い出した。

この出来事はいまでも釈然としないが、当の相馬さんは、芸術公社という団体を起こし、数々のプログラムを企画し、世界中を飛び回って忙しそうに、でも、ますますクリエイティブな活動を続けておられるのだからすごい。


一応、「FTディレクター相馬千秋さんの退任劇をめぐる反応。」と名づけられたツイッターまとめを貼り付けておく。

F/Tディレクター相馬千秋さんの退任劇を巡る反応。|togetter


海外の演劇祭では、そのフェスティバルのプログラムディレクターやそれに準じる役職の人がいて、上演プログラム選定の経緯など明確にわかるようになっている。

もちろん特定の人物やある人たちが決めていて、個人の考えが好みが出やすくなるが、それぞれのプログラムへの意見が観客によって違うのは当然のこととして、特定の人物やある人たちが決めるということに対しての批判ってほとんどないのではないか。

そしてフェスティバル/トーキョーはそのような海外のフェスティバルの運営をよく知る人々が日本に持ち込み実践していたが、行政からの不可解な介入で志が潰えた、というのが部外者からの見え方。

こんな認識で2020年オリンピックをやること、それに付随した文化プログラムを各地で、グローバルにも展開するなんて、そしてそれに目が飛び出しそうなほどの税金が使われるなんて、本当に恐ろしい。 また余談が長くなってしまった。


公共性から派生して、人と人の関係性を大きく変えてきたインターネットの登場と、それがもたらしたものについて。

<東>つまり、現代社会は、社会から切り離されている状態をますます異常だとみなし、それを治療する方向に向かっている。


<大塚> 少なくともあなたは本を書いているんだから、本が届く範囲の中でやっていくべきなんだって、ぼくはずっと言ってるわけ。それからネットの上の言葉も含めて、あなたが発信できるツールの中で、あなたはあなたの言葉の中で、そういったものに対してコミットしていっているわけでしょう。


<東> いや、それはやるわけです。その限りでは信じているとも言える。けれども、真剣に内省するとふと空しくなるのも事実です。評論や思想の言葉が行っているのは、もともと心の強い読者の、その強さを高めているだけではないか。最初から心が弱く、承認を求めて陰々滅々となっているひとを、本だけで変えることがあるのか。


世の中に言葉を送っているのに斜に構えた視点で世の中をみているというそぶりをする東さんに対して、大塚さんは憤っているように文面では読める。

文面を追うかぎりでは、わたしも大塚さんの言うところに賛同するし、東さんは卑怯だと思う。でも、斜に構えたような発言をする東さんが、社会を、人を、信頼できていないように見えて、その姿が自分の本心と重なるようで辛くなる。

じゃあ一体東さんは、どうして、社会に対して言葉を紡ぐのか。 文面を追うだけでは計り知れないところがあるなあ、と思った。


これからも彼らの仕事を追いたいと思う。

(はてなブログから転載/2017-08-29)


2017年5月22日、イギリスのマンチェスターで行われたアリアナ・グランデのライブ会場でテロ事件が発生。

犯人を含む23名が亡くなり、120名以上の負傷者を出す惨事となった。

テロが起こったのはライブも終わり、観客が帰りはじめた頃だった。

アリアナ・グランデのライブには多くのティーンが参加しており、迎えにきた保護者も被害に巻き込まれることになる。


英マンチェスター爆発、死者22人に 自爆攻撃と警察 - BBCニュース

【マンチェスター攻撃】犠牲になった人たち 8歳少女や非番警官 - BBCニュース


テロ後のアリアナのツイートが、悲痛だ。

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broken. from the bottom of my heart, i am so so sorry. i don't have words.

(@ArianaGrande)

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このテロが起こったのは決してアリアナのせいではないけれど、自分のライブがテロの攻撃に遭い、こどもも含めた自分のファンが殺され傷つけられたというのは、とても重い責任を感じることだと思う。


アリアナは後日開催される追悼コンサートの前に、負傷したこどもたちを見舞ったという。

わたしはちょうどこのとき、児童・青少年演劇の世界的なフェスティバル"CRADLE OF CREATIVITY"に参加すべく南アフリカのケープタウンに滞在しており、BBCのニュースでこの事件を知った。

日本にいるときよりもイギリスが身近に感じたし、テロ事件の怖さが身に沁みた。


その後、日本に帰国して、このテロ事件を追悼する"One Love Manchester"がYoutubeで中継されると聞いて、リアルタイムで視聴した。

出演するゲストの中で曲を知っているのは元オアシスのリアム・ギャラガーとcold play、ケイティ・ペリーくらいだった。

観客の多くが、"FOR OUR ANGELS"=天使たちのためにと書かれたボードを手にしていたことが印象的。


各アーティストごとの動画はBBC MusicがYoutubeにあげている当日にリアルタイムで中継されたすべての通し映像はこちら

セットリストはこちら


リアルタイムでみながら泣きまくったし、何度もみたいまも、泣いてる。

音楽、すごいなあ…と思ったし嫉妬もしてる。

映画だって、911が起こったあとにすぐ、世界中の映画監督によるオムニバス「セプテンバー11」を制作している。

演劇ではちょっとこういう例は知らないなあ。わたしが知らないだけかもしれないので、あったら教えてほしい。


5月22日にテロが起こり、6月4日にこの追悼コンサートを行ったというそのすばやさはもちろん、こうやってすぐに、これだけのアーティストが集まったんだ。

これは本当にすごいことだ。

しかもこのコンサート前日、今度はロンドン市街地で通行人を狙ったテロ事件が発生し、8名が亡くなっている。

日本だってアメリカの世界的な軍事戦略に加担しているし、わたしにすらその責任の一端はあるのだろうと思う。この時代にテロに無関係な人なんて、ほとんどいない。

別の方法で訴えることだって、できたはずなんだ。 でも、こういう手段でしか表現できないところまで追いつめられているんだと、やっぱりそう思う。


マンチェスター出身のスーパースター、元オアシスのリアム・ギャラガーの登場で、観客の盛り上がりが頂点に。

リアムは何も語らず、いきなりこの曲を歌いはじめた。

『Rock 'n' Roll Star』


この曲をまず持ってくるところがさすが。

歌い終わり、リアムはいつものように「ファッキン」という。それがいい。ほんとにくそったれな世の中だ。

そして、『Live Forever』で度々ディスってきたColdplayと共演。リアムは、この共演でColdplayに対する考えをあらためたらしい…。

「あんたの庭のことなんか知らないし、たぶん俺たちは何者にもなれず夢は夢のまま。だけど、それでも永遠に生きていくんだ」というこの曲の歌詞が痛切に響いた。

新曲の『Wall of Glass』も披露。この曲もよかった。


コールドプレイは、リアムが謳わなかったオアシスの名曲『Don't Look Back in Anger』を披露した。

この曲は、テロ事件後にマンチェスターで行われた追悼式の群衆のひとりが歌い出したことで、その場に居合わせた人の大合唱となった。

―怒りに変えてはいけないという思いを共有するために。


この曲を歌ったことについて、コールドプレイは、この追悼コンサートにスケジュールの都合上参加できなかった元オアシスのノエル・ギャラガーに「貸してもらった」と語っている。

追悼コンサートに参加しなかったノエルについてディスっているリアムはいつものことなので気にしないとして、ノエルは、追悼式でこの曲が歌われてすぐ、この曲のロイヤリティを寄付したらしい。


ケイティ・ペリーは自らの代表曲『Roar』を歌った。

'Cause I am a champion, and you're gonna hear me roar!

「愛を選ぶのは簡単ではない、でも、愛は恐怖に打ち勝つことができる。あなたが選んだ愛はあなたに力を与える」と言うケイティのスピーチはすばらしかった。

となりの人に触れて、愛してるって伝えようというケイティの言葉に、観客がわき上がった

この曲の前に歌った"Part of Me"ももちろんすばらしかったけれど、以前は内気で我慢していた人があたしこそが王者だ、わたしの吠える声を聞かせてあげるというこの力強い歌は、いまこそ必要だと思った。このステージのケイティは本当にかっこよかった。


Black Eyed Peasとアリアナ・グランデは、『Where Is The Love?』 を。

911、そしてその後のアメリカによる対テロ戦争に対して問題提起した曲で、まさにいま聞きたいと思う曲。

2011年にアメリカで911が起き、そして2017年のいまもそれらを発端とした争いが収束していないということを直視する。

「人々は殺し合い、死んでいく。こどもたちが傷つき、その鳴き声が聞こえる。(片方の頬を打たれたら)もう片方を出せる? 神よ、わたしたちを救ってください。導きを送ってください。いったいどこに愛があるのだと」


コンサートに参加したアーティストがステージに並ぶ中、アリアナが熱唱した『One Last Time』で再び涙が溢れる。

本来ならば違うイメージを持つ歌詞なんだろうけれど、いまは、テロで亡くなっていった人に向けた歌かのように聞こえる。


One more time

最後にもう一度

I need to be the one who takes you home

君を連れて帰りたいの


まるで、亡くなった人たちをもう一度彼らの家に連れて帰りたい、と言っているようなんだ。 


このコンサートだけでおよそ200万ポンド(約2億8000万円)もの売り上げがあり、そのすべてが寄付されるそうだ。 アリアナはこのあと、マンチェスター市初の名誉市民に選ばれた。

短期間に立て続けにテロが起き、さらなるテロの危険性をはらんでいたイギリスでこの見事なコンサートを成功させ、会場に足を運べない人にもリアルタイムでその模様を提供した彼らを心から尊敬する。

この状況の中でステージに立つ恐怖は、あったと思う。


最後に。 このコンサートでアーティストたちがスピーチした言葉を抜粋して。


必要なのはテロに勝つ、なんていう勇ましい言葉ではなく、まずは自分の隣人を愛し、敬うことだ。

わたしたちは身近な人たちと手を取り合って、そして、生きていくんだ。

人を傷つける行為を断固として拒否する力が、いま必要なんだ。

そのタイトルどおり、日本の社会の中で人形劇がどのように発展し位置づけられてきたか、日本における人形劇の歴史を網羅したすばらしい一冊だった。

人形劇をやっている人でも、読んでいない人はかなりいると思う。

もったいない。ぜひ読んでほしい。知らないことがかなり書かれていて、読みながらつけたふせんの数がものすごいことになってしまった。

以下、引用して残します。


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ヨーロッパではマリオネットが主流だったが、日本では糸操り人形の座はすくなかった。ほとんどが人形をしたから差しあげて遣う方式であった。この違いは人形劇が生まれた経緯と関係している。  


前者では人形を人間のミニチュアと考えた。人形を使って天国も地獄もふくめた小宇宙をつくりだそうとした。人形は人間の比喩的存在であって、人間と足元の同じ地面(床)に立つことができた。


後者つまり日本では、人形劇の源流は神事あるいは祝福芸にあった。神社の祭礼などで神さまを喜ばせるもの、あるいは人々の家をたずねて神さまのかわりに祝福をさずけるものであった。芸能一般がそうであった。現在でも舞台の開幕を祝う焼くとして『三番叟』が舞われたりする。人形は小さい人間というよりも、神と人とのあいだをとりもつメッセンジャーであった。

そこから人形は差しあげて遣う方式がむしろふさわしいと考えられたのだろう。

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明治時代、ドイツの糸操り人形劇団、ダアク座が日本公演を行った際には、初日の公演をみた歌舞伎の五世尾上菊五郎が翌々月にはもう自分たちの演目にしていたらしい。著者は、「わたしはそこに、当時の歌舞伎役者がもった新時代への気構えを感じる」と書いている。

歌舞伎に対して新劇が出てきたように、演劇・芸能というジャンルがお互いに意識し、競い合っていた熱が失われたことは残念だ。


ドイツの近代人形劇としては、カスペルを主役に据えた作品が目立つが、これはもともと「カスペル劇」として民間芝居で演じられていたものだそう。

さらにあの有名な、ゲーテによる「ファウスト」も、もともとは民間伝承の人形劇のひとつであったらしい。1746年にハンブルクで公演されたということが最古の記録として残っている。


ネットで検索すると、ドイツの現代演劇が専門の谷川道子さんがSPACに寄稿した文章がみつかった。  

【ファウスト 第一部】レジェンド〈ファウスト〉(谷川道子)


ゲーテも、人形芝居として演じられる「ファウスト博士」をみたんだろう。

話は飛ぶが、有名な舞台美術家の伊藤熹朔も、人形劇をしていた時期があるらしい。

なんでも、「役者に多雨する不満、新劇といっても、ほんとの始めだから、新派の役者とあまり変わりはない。こっちの舞台装置に役者がのってこない」という思いが人形劇に手を染めた動機だそうで、筆者は、「美術の新しい情報は、写真や画集などからも視覚的に分かる。しかし、舞台の空気、とりわけ演技といったものは、体験した人、見た人にしか分からない。ヨーロッパ近代劇の情報が日本に入ってきた、いわゆる新劇誕生の初期には、演出、美術、照明などの舞台スタッフと、演技者(役者)との理解の食い違いは相当にあっただろう。

美術家がとくに人形劇をこころみようとしたわけも、俳優への不満が底流にあったと思われる」と推察している。


次に、人形劇と教育の切っても切れない関係について。 幼児教育の現場に人形劇の活動をいち早く取り入れたのは、1923年頃のことで、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)附属幼稚園の倉橋惣三園長であったそうだ。


人形劇の普及に熱心に取り組んだ彼の持論は、「型にはまった幼稚園を、真に子どもの世界らしい幼稚園にする為に」であった。

この教育観の根底には、倉橋の「みんなでいっしょに舞台を見る楽しさを子どもたちと分かちあいたい」という願いと、「小さなものの動きに徳に惹かれ夢中になる子ども心」への熱い共感があった。 らしい。


非常にシンプルで、いまに通じる思いだ。

とは言え、日本が昭和に向け富国強兵へと突き進む中で、そのようなことも言っていられなくなった。


日露戦争の英雄と讃えられる肉弾三勇士を題材にした人形劇すら作られ、こどもたちに向け上演されるようになった。

肉弾三勇士を讃えるということはつまり、捨て身の攻撃を讃えるということだ。

肉弾三勇士が亡くなった一ヶ月後には、新派、新劇、新国劇、人形浄瑠璃でも舞台化され、さらに映画においては7本の映画が封切られるという国民的熱狂。


筆者は、「だが、とわたしは思う。この十余年ほどのち太平洋戦争の末期、自分の操縦する飛行機ごとアメリカの軍艦に突っこんだ特攻隊や、潜水艦から人間魚雷となって飛びだす行為を、英雄とほめたたえた遠因はここにあったのだと。海の藻屑と消えた若者の多くは、我が身を弾丸として自爆するのを名誉とする空気のなかで子ども時代を送った人たちであった」

「人形劇が子どもの生活のほんの一角に登場したばかり、社会的認知はおろか知る人ぞ知るというものであったころに、軍部はそれに目をつけ、それによって愛国心を吹き込もうとしていたのか。しかもそのことを人形劇をつくる側が、自分たちの仕事が認知されたと素直によろこんでいたのである。当時の世間では、お上の言うことは正しいというのが普通の感覚だったのかもしれないが、それにしても、なんという庶民の素直さ、そして、なんというお上の(軍部)の目のつけどころの素早さよ!」と、当時を嘆く。


また同時期、ヒトラー率いるナチス・ドイツでも、片手遣いのカスペル劇が製作宣伝に利用されており、日本軍部は、そこから人形劇を利用することを考えついたのだろうかと著者は推察する。

なんでも、大政翼賛会にも人形劇研究委員会なるものが作られていたらしく、そこでは、サザエさんに似た人形家族「大和一家」が銃後の覚悟や家族の和を説いたそう。

人形劇に関する出版数は1941年〜42年がだんぜん多いということで、社会的影響力を失ったいまの人形劇界からすると隔世の感がある。


戦時下、軍部により利用された人形劇ではあったが、この中からいまの人形劇に至る影響がたしかにあったのだ。

この時代に人形劇に触れた人の中から、戦後の人形劇や児童演劇の発展に尽力した人が多く生まれている。人形劇界ではおなじみの演目「なかよし」も、そのオリジナルは翼賛会時代にあるそうである。


暗い話ばかりではいけない。

同書では藤代清治による「ケロヨン」にも触れられているのだけど、彼らの武道館公演はなかば伝説のように聞いたことがある程度だったので、実際にはどんな感じだったのだろうと興味がわいた。

だって、人形劇の公演を「武道館」でやるんですよ?!

想像もできない。

ネットで舞台写真をみることができた。

バブリーな匂いがするけど、人形劇が武道館で上演されているというのが痛快だ。


同書では、人形劇の発展と密接な関係のある、子ども劇場・おやこ劇場についても触れられている。


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ファミリーとの出会いのもうひとつの出来事として、「子ども劇場・おやこ劇場」がある。

福岡を発祥の地としたこの運動は、一九六六年からはじまり七〇年代に入って全国にひろまった。

急速なテレビの普及によって、子どもが「お茶の間(テレビのある場所)文化」に囲いこまれてしまうことへの、また経済の高度成長が地域のつながりを壊しつつあることへの危惧から、心あるおとなたちが起こした運動であった。

「良い舞台」を親子ともども見ることで、失われようとしていた家族や地域の連帯を取り戻そうというものだった。

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ここから、現代に近しい時代の話に入っていく。 人形劇とは何かということについての言葉や、洞察がおもしろい。

1957年ルーマニアの首都ブカレストで開かれたウニマ大会に、川尻泰司とともに参加したプーク団友で詩人の山村祐は「人形劇は詩である」と、ウニマ大会の様子をまとめた「現代ヨーロッパの人形劇」という本に、「社会主義リアリズム全盛のころで、創作のうえで、なによりテーマが重視されていた。日本の人形舞台のほとんどが、そのころまだ、一文字と袖幕のある額縁舞台でのセリフの多いドラマ劇だった。なにかが違う、もっと別のことがやれるのではないかという気持ちを、人形劇をやっていたもののだれもが感じはじめていた時期だった」と書き残している。


著者はこの言葉に感銘を受けたそうだ。 著者の言うこの問題は、残念ながらいまもしつこく残っているように思う。

人形劇団ひとみ座の宇野小四郎は、劇団をあげて東京・渋谷の東急本店通りに作ったカフェ兼劇場である「プルチネラ」に、こんな思いを託した。


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ソヴィエト・ロシアの著名な人形劇かオブラスツォーフの本のなかに、屋根裏のサロン的小劇場の話があった、かれは、いつかはそういう<人形劇を徹底的に楽しめる、ちょっと気取ったサロン的劇場を開いてやるぞ、と思って>いた。


<人形劇を自由に論じ、あらゆる可能性を演じる空間、人形の王国、愛の小宇宙という>サロンを夢みていた。しかし、それが新宿西口広場風さ事件で変わった。

<小さくてもいい広場を構築しよう><閉鎖的サロンから、開かれた広場としての空間へ>と、プルチネラは<道路の続きみたいな所><人形劇が新鮮な外気に出会う所><社会が人形劇に触れる所>と。

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この宇野の言葉からは、平田オリザの言うような、そしてかつては宮沢賢治の目指したような「広場」が想像される。


現在、人形劇のフェスティバルが開催される町は全国に300以上あるらしい。

さらに知らなかったのだが、国民文化祭には人形劇部門なるものがあるらしい(ただしネットで検索したかぎり、直近で2014年秋田・由利本荘市での情報しかわからなかった。※2019現在、リンク先も消えた)。

国民文化祭を機に人形劇フェスティバルを開催した縁で、現在まで続いている町もあるようだ。


海外に目を向け、フランスの太陽劇団(Théâtre du Soleil)にも触れている。

実際にみたことはないのだけど、文楽人形の動きを模写したような動きを生身の俳優がすると聞いている。 そこで思い出したのが、静岡のSPACだ。

今年、フランスはアビニョン演劇祭のオープニングを宮城聡率いるSPAC「アンティゴネ」が飾ったというニュースが記憶に新しいが(現地ではかなり好評だったそうで嬉しい)、宮城聡さんの演出も、俳優に文楽人形のような動きを要求するものだ。

フランス人って、こういうのが好みなんだろうか。

宮城さんが、いなさ人形劇まつりの審査員をしていたこともあるらしく驚いた。


最後にいくつか、わたしが共感する著者の人形劇観を引用。


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「命を吹きこんで」、人形劇について語るときに多用される言葉だが、著者はこの言葉を使わない。

おそらく人形遣い自身もそのような感覚で人形に向かってはいないだろう。

かれらは「命を見つける」ことを仕事としている。

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人形劇は俳優劇にくらべれば、小さな舞台、小さな役者(人形)が大きな力を発揮する演劇だ。

言語表現でいえば「詩」のようなもの、表現要素は選びぬかれ、シンボル化される。

小さいことやシンボル性が、子ども、とくに幼い子どもをひきつける。

だから人形劇は年齢をえらばない万人のものだ。

おとながそれを見ないのは、人形劇のおもしろさに気づかないか、あるいはいまの人形劇がつまらないからだろう。

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まちがいなく、人形劇への深い愛情によって作られた一冊だった。

人形劇に携わる人は必読。


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はてなブログからの転載です。

2017/8/14執筆

ベルリンの壁崩壊前夜の東ベルリン。

政府へのデモに参加したあげく警察に連行される息子を偶然みかけた母は、その場で卒倒し、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されたことも知らないまま、8ヶ月後にようやく目を覚ます。

家族を捨て西ベルリンへ亡命した夫との関係から社会主義思想に染まっていた母には、資本主義にどっぷりとハマっていく現在のドイツの姿をみせることは刺激が強すぎると判断した息子・アレックスは、東西ドイツ統一のニュースを母からひた隠しにしようとする。

この一見すぐにバレそうなアレックスの企みは、自宅のベッドから一歩も動けない母と、映画監督を目指す会社の同僚の技術や旧東ドイツ製の食品ラベルを活用するなどといった彼自身の巧みな嘘によって、なかなかバレることはない。


さらに、部屋からみえたコカ・コーラの垂れ幕や西側の商品について母が疑問を持とうものなら、その事実を取り繕うためのニュース番組まで作り上げ、嘘に嘘を重ね、東ドイツがいかに西側より優れているか、慈悲の心をみせているかについて披露してみせる。


東西ドイツの統一から30年にもなろうかという今日、ドイツはEUのリーダーであり、世界中の国の中でも際立った姿勢をみせているけれど、統一後の混乱は相当なものだったのだろう。

その混乱にもっとも激しく翻弄されるのは、いつだって市井の人々なのだ。


アレックス家族と同じアパートに住む老人は、東西ドイツが統一したことで自分が被ったことの愚痴をいつもこぼしている。

母がかつて教鞭をとった学校の校長すら、その地位を失っている。

東ドイツというと、秘密警察や市民による密告社会であったという暗い側面ばかりが取りざたされるけれど、そこで人生を送った人にとって、いや、そこで人生を送り、「ひどい仕打ちを受けることのなかった」人にとっては、やはり自分の故郷であるのだろう。


目覚めたばかりの母を刺激しないようにという考えからはじまった彼の東ドイツは、劇中で彼も言うように、彼自身の望んだ東ドイツの姿でもあった。

それはまるで、自分の不遇な環境を一変させてくれるなら戦争すら望むという若者の声に近いとも思える。

この映画には、悪いやつは出てこない(しいていえば記号的に描かれる東ドイツの警察は悪いやつとして描かれる)。

なんていいやつなんだ、と感心したのは、アレックスの姉の夫と、アレックスの同僚で映画監督志望の男。

アレックスの姉の夫は、西側の人間でありながら、義母のため、こども時代の経歴を詐称するというアレックスの指令に戸惑いながらもきちんと従ってくれる。

アレックスの同僚で映画監督志望の男はまた痛快で、そのもてる技術でもってアレックスの偽装の力になる。映画の才能があるかどうかは別にして、たとえ彼自身の欲望を満たすものだったにしても、彼は仕事をしながら、どれだけの労力をアレックスの計画に注いだんだろうと思うと感慨深い。

しかも、最後、東ドイツ主導によって東西ドイツが統一されたという偽の番組をしたためたビデオテープを病院にいるアレックスに届けるシーンでの別れ際などは本当にかっこいい。


アレックスと知り合ってすぐ、「2001年宇宙の旅」の猿人が投げた骨が宇宙船に変わるという有名なモンタージュを、結婚式の花嫁が投げるブーケとウエディングケーキに見立てたと自慢するシーンだけでも、彼の人となりがわかる重要なシーンだ(一度目にそれを流したとき、アレックスは寝ていたけど)。純粋に映画が好きな人間という感じで好感が持てる。


そして誰より魅力的だったのは、アレックスの彼女でソ連からきた看護学生という役柄の、天使のララ!

天使の、と形容するのはアレックスなのだけど、彼女の顔つきや笑顔からして、本当に合っている。

こんなに魅力的な女の子はなかなかいないし、すぐに思いつくとしたら「キックアス」の当時のクロエ・グレース・モレッツくらい。

(彼女の名前はチュルパン・ナイーレブナ・ハマートヴァというらしい。ほかにどんな作品に出ているんだろうと思ったら、日本も加わった8ヶ国による共同製作作品「ルナ・パパ」くらいかな。もったいない、彼女の魅力を生かす監督が少なかったなんて。ソ連邦内のタタールスタン共和国出身ということなので、その少しエキゾチックな顔立ちが日本人好みでもあるのだろうか)


彼女だけはアレックスの嘘を嫌がり(母に嘘をつくということに対して嫌悪感があるよう)、ラスト間際で、本人に伝えてしまう。

最終的に映画は、父の去った真相(秘密警察にひどい仕打ちにあっていたこと、亡命した彼に家族も合流しようとしていたこと…)、母の容態の変化、父との再会といった急展開を経て、東西ドイツ統一のストーリーをアレックス流に書き換えた上で、彼のこどもの頃からのヒーローであった東ドイツ初のコスモナウト(一般では「アストロナウト」だけど、ここではあくまで「コスモナウト」。そういえば、新海誠やBUMP OF CHICKENは、ソ連式の宇宙飛行士の呼び名である「コスモナウト」を使うけれど何か意味があるんだろうか)のイェーンを、東西ドイツ統一の立役者に仕立て上げる。 母は、彼女の信じた祖国の社会主義思想を誇りに思ったまま、死へと旅立った。


この映画についてひとつ不満をあげるとすれば、ラストシーンで使用された祖国のために働いている頃の母の写真で、左側に写る女の子の顔がかなり悪魔的でぞっとすることくらいだ。

あれだけはちょっといただけないというか、気持ち悪くなってしまったんだけど、同じこと思っている人いないだろうか…。

はてなブログからの転載記事です。

(2017.8.22)


読み返して、最近みて大いに感銘を受けた映画『ジョーカー』を思い出していた。

ジョーカーになる前の「アーサー」は、その惨めな生活を妄想で埋めていた。

テレビのコメディ番組を見ながら、自分がその舞台に立ち、尊敬するコメディアンであるマレーに認められること、たまたまエレベーターで出会った女性と恋愛関係になること――。

その程度の妄想ならば、誰もがやったことがあるだろう(わたしも例外ではなく)。

ただ、加齢による影響や周囲とのある程度満たされたコミュニケーションのうちに、「自分は特別な人間ではない」ということを認識していく。

そうしなければ生きられない、生存本能の一種のようなものだ。


叶いもしない強い妄想から自分自身を救えるのは、自分自身だけ。

『地下室の手記』も『ジョーカー』も、「自分は特別でありたい」と願いながらも、その「叶わなさ」を理解している人にこそ読んでほしい作品だ。

(自分を客観的に直視できない、直視されることを避ける人間には向かない)





ドストエフスキー「地下室の記録」を読んだ。

はっきりいって、みじめたらしい、傲慢で偏屈な男の話だと思った。

そして、これこそわたし自身だ、とも思った。

訳者である亀山郁夫さんがあとがきに書いているように、この男は「意識の病」に蝕まれていて、それこそが彼をみじめにし、傲慢な人間に仕立て上げている。


当時の民衆は、いまのように余暇を楽しむ財政的な余力があり、見かけ上は民主主義が保たれ、人は平等であると信じられている時代とは違う。

自分の好きな仕事に就くなんてことや、自分探し、なんていう言葉が存在することすらない時代に「意識の病」に苛まれることは悲劇だと思う。

現代人の先駆けなんだろう、きっとこの男は。


そういう「意識の病」に苛まれた男の挙動や言動をこの小説は逐一描写しているのだが、人とのコミュニケーションを逐一頭でシミュレーションしては、シミュレーションどおりにはまったくいかない現実にくらくらしているわたしにはとってもよくわかる。

ふつう人は、こんなに頭で考えてばかりいてはおかしくなると思う。


人とのコミュニケーションはシミュレーションのようにうまくいくわけがないし、何より機転が大事なのだ。

だからこの男は人間関係がうまく持てないし、人から馬鹿にされもする。本当に他人事とは思えない。

他人事とは思えないと思いながらも、でも、小説は客観的に読めるものなので、自分のコミュニケーションの不能を棚に上げて、この男はなぜこんな言動をするのか、なぜ人とうまく付き合えないのかと読んでいるあいだはずっと訝っていた。


共感した言葉がいくつかある。


「ああ、諸君、わたしが自分を賢い人間とみなしているのは、これまで何ひとつはじめることをしなければ、何ひとつ終えることもできなかった、ただそのためだけなのかもしれない」


「今となってじつによくわかるのだが、わたし自身、途方もなく虚栄心がつよく、おまけに自分にたいする要求がきつすぎたため、かなりの頻度で、嫌悪を覚えるほどの狂おしい不満をいだきながら自分を見つめ、だれもが自分と同じような見方をしているものと思いこんでいた」


「しかし、わたしにはすべてを和ませてくれるひとつの逃げ道があった。要するに、『美しくて崇高なもの』のなかに逃げ込むのだ。むろん、これは空想のなかでの話である」


わたしにとっての『美しくて崇高なもの』は、もちろん、劇場の客席だ。そこに座って演劇なり映画なりを眺めることが『美しくて崇高なもの』そのものだ。

わたしが演劇や映画を好むのは、『美しくて崇高な』空想の中へ逃避するためなのだと自分でもわかっている。

劇場こそ、わたしにとっての「地下室」だ。


長く人々に読まれているのだから当然なのだけど、なんだこの男はと時に嫌悪しながら、でも、読了感は悪くないというふしぎな小説だった。




迷いの深い闇より

信念に満ちる熱いことばで

堕ちた魂を引きあげたとき、

深い苦しみに満たされたおまえは

両手をもみしだいて、

おのれをからめとる悪を呪った。

もの忘れがちな良心を

追憶のかずかずで鞭うちながら、

わたしに出会うまでの身のうえを

おまえは語ってくれた。

と、ふいに両手で顔をおおうと

溢れる羞恥と恐怖におののきながら

おまえはどっと涙にくれた、

高ぶる怒りに身をふるわせて


…… N・A・ネクラーソフの詩から