評伝 演出家 土方与志/津上忠

土方与志を知っているか。


1898年生まれ。祖父は土佐藩出身の伯爵、築地小劇場を拠点に新劇運動を起こした演出家。


これまで名前は存じていたけれど、その生涯、特にその骨子を為す演劇との関わりについては知っていたようで、この本を読んではじめて知ることばかりだった。

祖父が伯爵ということと築地小劇場を起こしたことで、かなり裕福な環境だったのだろうと思っていたのだけれど、戦中の苛烈な弾圧(左翼的演劇人に対する)やソ連やパリでの亡命生活、帰国してからの獄中生活等、歴史に翻弄されつつもしっかりとした足取りで前進してきた人物なのだと知った。 


それまでの歌舞伎や新派劇に対し、ヨーロッパの演劇を模倣した新劇運動が巻き起こったのは戦前のこと。

いまでは新劇というと古いと考えられがちだけれど、それも歴史の進みの中で変わってきたことである。

それでも、実に100年ほど前の出来事になるというのに、いまの演劇シーンにも連なることを土方与志さんは問題として取り組まれていたようなので、以下、引用したい。


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こんな風にして矢つぎ早に、なんの脈略もなく、商業劇場の仕事に追われていた。劇壇の表裏も少し分かって来た。工業資本の横暴、根強く蔓った劇界内部の封建的組織、階級、下積みになっている人々の希望のない、浮かぶ瀬のない生活、門閥や家柄のいい人の傲慢な態度、無内容な馬鹿馬鹿しい、そして貪らんな生活、俳優相互間の軋轢等々、その醜さ、みじめさというようなものに眼を被いたくなるような機会に出会う事がしばしばあった。加之、所謂、贔屓客と言われるものの芸術に対する無理解や、鼻もちならない態度等々、心に『洋服』を来ている私には、堪えられない事が多々あった。

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私は日本の芝居がまだ、有閑階級の玩弄物であり、劇場は遊興場でしかない事を嘆じずにはいられなかった。

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商業演劇でテレビにも出ている有名人が出演する舞台は1万円超えのチケット代がかかることがしばしばで、最近では平日昼間の興行しか予定されていないことも多い。

客席は金銭的に余裕のありそうな、中年の女性ばかりである(すべてがそうではないけれど)。

演劇が、映画やコンサートに比べて一定の強制と忍耐とを強いるメディアであるからと言って、この門戸の狭さは一体どういうことだろうと思う。


戦後、獄中から解放され身体を休めていた那須野で、亡命中の諸外国での演劇体験や戦争で犠牲になった友との思い出を書いた「なすの夜ばなし」で、土方与志はこう宣言している。


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再び言う、新劇人よ、戦争犯罪人を告発せよ!

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彼の脳裏には、中国戦線で戦死した俳優の友田恭助、原爆に斃れたさくら隊の丸山定夫らがいた。

そしてもう一人。治安維持法違反に問われ、長い獄中生活の末に肺結核を病み、その後、病気の重篤化により亡くなった小野宮浩…。


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私は彼と同じくかの悪法(治安維持法)の被適用者だった。が、今自由の世界に生きている。彼はこの悪法によって死んだ劇界の唯一の犠牲者だ。悪法を採れるもの、戦争を挑発したもの、祖国の自由と文化の発展を阻害し破滅に立たせたもの、これみんな同一の力である。新劇人よ、自由と文化の敵に復讐しよう。世界人類の前に恥ずかしくない高い芸術を創造して、友田、丸山、小野の霊を慰めようではないか。

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またその思いに伴い、俳優の演技について、


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俳優がもっと相手の役柄を研究すること、及び特に大切なことは持役の人間の現在の心境のみならず、過去の、そして未来の生活予想をも演技創造の素材とされる事等が望ましかった。

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と、語っている。


最後に、築地小劇場創設にあたって小山内薫が残した文章を引用したい。


小山内薫 「築地小劇場はなんのために存在するか」(1924年演劇新潮掲載)

A 演劇のために 築地小劇場はー総ての劇場がそうであるようにー演劇の為に存在する。築地小劇場は演劇の為に存在する。そして、戯曲の為には存在しない。

B 未来の為に 築地小劇場は「未来」の為に存在する。未来の戯曲家の為に、未来の演出家の為にー未来の俳優の為に、ー未来の日本演劇の為に存在する。

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