2019.6.11|フラワーデモ@神戸
6/11に開催されたフラワーデモに参加して、何か書き残しておきたいと思いつつ、自分の中で思いのまとまらない日々が続いてしまっていました。
なので、あの場で手を挙げてスピーチした内容を納得いくよう編集して書き残します(現場では、頭の中だけでまとめて話してしまったので、誤解を生む発言もしてしまっていたのではないかと心配しつつ)。
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今日、この会の趣旨に賛同し、いろんな思いを抱えてここに集まった皆さんのお話を聞いて、まず、謝らなければならないという思いでいっぱいです。
わたしは、自分の認識するかぎり、痴漢の被害にも遭ったことがなく、性暴力にも遭ったことがありません。いまは違いますが、高校生くらいの頃には、「そんな被害に遭うのは露出の多い服装をしているからだ」とも思っていました。同性の少なくない女性が性暴力に遭って傷ついているにもかかわらず、です。
でも、近年の世界的なmetoo/withyouの高まりやジェンダー平等についての言説に触れる機会が増えたこと、伊藤詩織さんの告発に対しての世間のバッシングや、政治や社会に関する自分の意見を堂々と述べる著名な女性へのバッシングを目にする機会が多くなり、ようやく、この社会は何かがおかしいということに気づきました。
ようやくです。
自分は、傷ついた人に寄り添うどころか、さらに追いつめる考え方を持っていた、そういう社会の風潮に加担してしまっていたとはじめて気づいたんです。
最近、韓国でベストセラーになった小説ー「1982年、キム・ジヨン」を読んで、その思いはさらに深まりました。
女性として生まれたことによって不利益を被ったことはないと思っていましたが、「女は感情でモノを考える」「女は理数系が苦手」、何のエビデンスもないそれらの言葉を無条件に信じ、何気ない会話でもっともらしく発言してしまっていました。
自分も女性として生まれたにもかかわらず、自分を、そして他の女性を、「女性」という小さな枠に勝手にはめ込んでいた。そのことを謝りたいと思います。
自分は、なんて間違った考えでいままで生きてきてしまったんだろうと愕然としています。
今日ここで、このような場をセッティングしてくださった主催の方に感謝します。集まった皆さんとこの場を共有できたことが嬉しいです。
ありがとうございました。
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わたしのスピーチは何ともまぬけですが、この日スピーチをされた方の中には、職場で性暴力に遭い、いまも裁判で闘っている方や、サバイバーとしての苦しみを語った方もいます。
被害にあった方を支援する活動をされている団体の方、弁護士や学生、女性の議員も。
学生さんが語った、「フラワーデモに行くと母親に言ったら、"女性も自衛しなきゃ"と言われた(問題の本質は、女性が自衛するかしないかではないんです)」という話や、中学生の子を持つ女性が、「こどもにデモに行くといったら、そんなんに行かんといてと言われた。でも、あなたと同じ年の女の子が一人で苦しんでいるんだよと裁判の不当判決のことを説明し、"その子の気持ちだったらどう思う?"と聞いたら、"自分のクラスの女子がそんな目に遭うなんて考えられへん。もし自分がその子の立場やったら、応援してくれる人がいたら嬉しいと思う。お母さん、やっぱデモ 行ってきていいで"と送り出してもらえた」と話されたことが胸に残りました。
女性の議員や弁護士からは、「女性の議員を増やさないと」と。
フラワーデモの発端にもなっている「性暴力を受けた際の同意/不同意」の裁判所の認識不足というのは深刻で、極端に言えば、被害者がその暴行の最中に「死ぬほど」抵抗しなければ同意したとみなされ、犯人は不起訴になってしまう。
怖くて身体がすくんでしまってされるがままになってしまったり、せめて「死にたくない」と思って被害者が耐えるということは、裁判所では全く考慮されない。
加害者側は「抵抗がおさまったから相手が同意したと思った」と主張する。驚くことに、この主張が、裁判所では被害者の主張よりも優先されるんです。
これを「暴行脅迫要件」というのですが、2020年の法改正に向け、男尊女卑の考えがこびりついた議員ではダメだ、もちろん、女性だから理解があるわけではないし、理解があるかどうかは個人によるので、とにかく、男性でも女性でも、真っ当な倫理観、そして何より被害に遭われた方(性暴力の被害者は女性とはかぎらない)の気持ちに寄り添ってモノを考えられる議員を増やさないとダメだ、ということです。
(男性のたつみコータロー参院議員(日本共産党)が「暴行脅迫要件」撤廃を求めて国会で質疑したことも希望の一つ)
暴行脅迫要件については、先に開催されたJCP With You(https://www.jcp.or.jp/jcp_with_you/)で詳しく取り上げられたので、またあらためて書き残したいと思います。
男性/女性と書いてしまいましたが、この世の中は、もっと多様です。
認めるとか認めないという問題ではなく、ありのままが多様なのだから、「多様」な世界をありのまま受けとめたい。
男性/女性といった小さな枠に自分を押し込めなくていい。
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