原水爆禁止2019年世界大会in長崎
8/7~9にかけて行われた、原水爆禁止2019年世界大会in長崎に参加しました。
分科会も含めがっつり参加したのは今回がはじめてで、気づく点が様々。
何より新鮮に感じたことは、海外の平和活動家は、「核兵器と環境問題を同列に語る(共通の問題意識を持って語る)」こと。
核兵器も環境問題も、「人類とは共存できない(それらの問題を抱えたまま、地球は存続できない)」から解決に導かなければならないという捉え方は、日本ではあまり聞かない言説なので新鮮でした。
そもそも、日本では環境問題がそれほど深刻なテーマとして浮上していない(環境問題解決のためにティーンエージャーが運動をはじめた欧州とは状況が違う)こと、また、核兵器の問題についても他国とは捉え方が違っていて、被爆国という意識はありながら、それが「核兵器廃絶」の大きなうねりにはなっていない。核の抑止力を無邪気に発する人も少なくなく、原発も多く立地している現状がある。
日本の状況を的確に捉え、どう運動を発展させるのか模索したいと思います。
明確な到達点としては、被爆者が求めるように、「核兵器禁止条約を批准し、世界の核兵器廃絶運動をリードする国になること」。
戦争をなくすためには武装解除が必要で、核兵器廃絶はそのための一過程。戦争をなくすという漠とした考えを達成するための具体的手段としての核兵器廃絶。
より広範な人々と結集するために、核兵器廃絶運動を政権批判へつなげるより前に、「なぜ核兵器廃絶を求めるのかという」根本部分を繰り返し訴えていく必要がある。
(こう書くと誤解を生むかもしれませんが、日本の市民運動の多くは、一足飛びに政権批判へつなげられることが多いと思います。市民運動がまだまだ脆弱である)
そのために意見の異なる者同士の対話の場が必要です。
意見を同じくする者同士ではなく、意見の異なる者も受け入れ、対話をする市民運動が必要だと思います。それは政党にはできないことだから。
以下、「文化の力で反核平和の輪を広げよう」というテーマの分科会に参加での発言を書き残します。
この分科会では、「あいちトリエンナーレで起こった問題」「公共施設の利用/行政の後援名義を取得する場合の困難な課題」「SNSをどう活用するか」がテーマとして挙げられました。
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以前は劇団制作をしておりましたが、あまりにもひどい政治状況をどうにかしなければ、一劇団のがんばりだけでは到底解決できない問題が山積しているいう思いを抱き、直接、政治に関わる仕事へ転身しました。
劇団の仕事は離れましたが、文化、文化芸術の力はいまも強く信じています。
日本では、政治について語ることに拒絶意識の強い人や、相手を論破しなければ気が済まない人も多く、実のある討論ではなく、素手の殴り合いのような様相を呈してしまうことが多々見受けられます。
本来ならば、「文化(芸術)」をプラットフォームとして、実りある対話ができるはずです。
あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」も、本来ならばそのような対話につながる機会となったはずでしたが、今回引き起こされた騒動によって、自己との対話、他者との対話へつながる機会を奪われてしまいました。
「表現の不自由展・その後」の展示中止については多くの問題が複合的に絡み合っていますが、わたしがこの一連の経緯で問題視していることは、展示中止を求める声の中で、政治家の発言として、「日本人としての心を傷つけられた」という声が上がったこと、そしてこの展示の中止を求める政治家が、国や県の助成金、つまり税金を原資とした助成金が入っていることを批判の根拠としているということです。
わたしたちは、日本人であると同時に、世界市民でもあります。「公共(パブリック)」の名の下でやるべきことは、それがたとえ日本や兵庫県の税金を使っていたとしても、狭義の意味での(自治体の)市民ではなく、原水爆禁止2019年世界大会・国際会議で採択された「国際会議宣言」と同様、世界人類のためにというミッションを果たす意義があるわけです。
日本の政治家、便宜上「右派の政治家」としますが、彼らはこのことがわかっていません。兵庫県でも、知事が「行政の判断を受けたくないなら補助申請をしなければいい」と発言したことが物議を醸しています。
(このあと、あいちトリエンナーレの芸術監督である津田大介氏が登壇予定であった神戸でのシンポジウムが、神戸市議会議員数名によって潰される事態が起こりました。)
このような社会の状況に対して、わたしたちは何をすべきか。
わたしもSNSのヘビーユーザーですが、SNSは議論に向かない、デマがたやすく拡散されるという欠点も持っています。SNSの欠点というよりも、それは、人類の特性によるものかもしれません。いま本当に必要で、足りていないものは、顔をつき合せての対話です。
「日本人として」という主語ではなく、「わたしは」という主語で語る必要があります。核廃絶を願い、原水禁世界大会に集ったここにいる一人ひとりの顔を、もっと表に見せていく必要があります。そのためのSNSというツールであり、「文化」は、そのプラットフォームとして力を発揮します。
とりわけ必要なものは、意見の異なる他者との対話です。それは勇気のいることでもありますが――、わたしも、意見の異なる他者と対話する勇気を持ちたいと思います。
そのような場をつくっていきたいと思っています。
そして、各地でそのような機会が開かれることを期待します。
お聞きくださり、ありがとうございました。
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