Doosan Art Center Produce 東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「가모메 カルメギ」
가모메/カルメギ=日本語でかもめ、の意。
チェーホフ「かもめ」を日本統治下の朝鮮半島に置き換えた作品で、2013年初演(日本初演は2014年)、第50回東亜演劇賞にて史上初の外国人演出家による正賞を受賞した。
アフタートークつきの伊丹公演(7月21日(土)14:00-)で観劇。
随分前からチケットを購入して、伊丹公演より以前の公演の感想なんかもツイッターでみつつ、とてもとても楽しみにしていた公演。
観劇直後の感想は、とにかく、きつかった。
日本人には、きつい。苦しい。どんなにしても許されない、わたしたちの罪。
同月にみたミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場製作/岡田利規演出による「NŌ THEATER」も、あまりにいまの日本の状況を表した作品となっていて、かなりつらかった。没落していく国に生きる気分はどうだ?
いまと地続きの過去が奮った暴力を、覚えているか?
しかし、カルメギにもNŌ THEATERにも、いまここで上演されることの奇跡と感謝を感じた。
まず驚いたことは、舞台美術。
入場してすぐは、アイホールで客席が対面式になっている舞台をみたことがなかったこともあったのか、完全に、舞台奥にミラーがあって観客を写しているのだと錯覚していた(同じように思ってた人、いるのかな?)。
舞台美術の柱とか梁が、そう錯覚させたんだろうか。鏡ではないと気づくまでにけっこう時間がかかった。
また、すべてのキャストがこの役のために生まれてきたかのような迫力があり、カーテンコールでの現代服姿にとても安堵したことをまず思い出す(同じ理由で、両劇団のフェイスブック等で、普段の姿が写った写真をみると安堵する)。
舞台の出ハケは例外はあるにせよほとんどが上手から下手へ向かっていて、記憶があやふやではあるけれど、日米開戦のタイミングで、下手の扉が日本人によって閉ざされるシーンがとても印象的だった。
閉ざされた扉、取り残され、うなだれる朝鮮の人々の姿がとても苦しかった。日本人が到底想像し得ない閉塞感。
そのほかにも、もう一度みて確認したい、と思うほどミザンセーヌがすばらしく考え抜かれた作品であった。
クライマックスで個々人が死に場所をみつけて横たわるシーン、それから、朝鮮人が去り、日本人だけが取り残される終わり方も見事だった(脚本上はギヒョクの自殺で終わるのだけど)。
日本が朝鮮半島を植民地にしたことも、慰安婦、強制労働、徴兵、知識として理解はしていても、その朝鮮の人々の姿までは想像が至っていなかったかもしれなかったと唸らされた。
時折挿入される日本と韓国(朝鮮半島)の歴史のテロップをみながら、植民地支配、朝鮮戦争、軍事政権による支配、これらの歴史を経てきた韓国・北朝鮮で急速に進みつつある和解について、これまでも北朝鮮は裏切ってきたなどと懐疑的な声もあるけれど、それは日本人が言ってはいけないよな、と思う。
これまでの北朝鮮の融和への姿勢には懐疑的にならざるを得ないかもしれないが、人の命を踏みにじってきたくせに、その加害を忘れつつあるわたしたちが他国の平和へのプロセスに口を挟んではいけない。なるべくよい結果に進むようにアシストできるならば、その方がずっといい。
そしてそんなおせっかいを日本人に焼かれなくとも、北朝鮮との外交のむずかしさについて、韓国の人は十分承知だろう。
印象に残ったセリフは、「総督府の支援を受けているなら一定の水準は確保しているんだろう」という御手洗のセリフ。これは、小説家・塚口を追いかけて日本へ渡り、俳優の仕事を続けるスニムについて御手洗が発した言葉で、しかも劇中、彼はミョギに出征を促した本人であるのだから、ここに日本人の無神経さが凝縮されている(記憶があやふやなので、御手洗がミョギに出征を促したのだったか脚本でたしかめたかったけれど、脚本にはミョギが出征する旨書かれていただけだった。記憶では、御手洗がミョギに銃を渡す演出になっていた)。
これに対しドクトルは「は?」という反応をするのだからなおさらだ。
また、もうひとつ。これも御手洗のセリフで、エジャ(愛子)に対し、「家に帰ろう。雨にでも降られたら困るだろう」とあるのだが、前述の理由でこのセリフもまた、お前が言うか、と感じて嫌悪感がわく。
それから、日本人は何でも「仕方がないよ」というという言葉…。
そして、日本語でかもめ、は、朝鮮語では何と言ったかという問いに、誰も答えない(一度目は塚口の問いに、スニムが答えた)。
舞台には韓国と日本の新聞が敷き詰められているため、必然的にキャストは踏みつけながら芝居をする。新聞とは、過去・現在・未来だ。だから新聞を踏みつける姿がまるで、過去・現在・未来のすべてを踏みつけているような気がして。
どこで何が間違ったのか、戦争という非常時下であるにせよ…。
劇中、ロミオとジュリエットのジュリエットと同じ14歳だというスニムのセリフがある。
スニムとギヒョク、若い恋人の運命。
そして、愛する人と結ばれず、日本人と結婚したエジャ(愛子)。
スニムとエジャ、若い2人の悲劇。
挿入される音楽もすべて考え抜かれて効果的で、特に、2NE1の「I AM THE BEST」は、帰宅後何度も聞いた。
この曲とともに展開されるスニム、ギヒョク、2人の人生に涙。
演出とは関係ないのだけど、カーテンコールで、ミョギ役の日本の俳優が、床に置かれた日の丸の旗につまずいたことが何だか印象的だった。
ここから、アフタートークの話。司会はアイホールのディレクターで、演出家の岩崎正裕。
本作の戯曲を書いた第12言語演劇スタジオの演出家・劇作家のソン・ギウンさんは日本に留学していたというだけあって日本語がうまく、通訳なしでのアフタートーク。
誠実な人柄が感じられた。
なぜ「かもめ」を選んだのか(ダイナミックな激動の時代だから)、日本統治下に翻案するにあたっての変更点や、話は当然のように、多くの汚職とともに失職した前大統領・朴槿恵に至る。
韓国演劇界を震撼させた、政権に反対する演劇人の「ブラックリスト」。
ソン・ギウンさんも当然のようにブラックリストに名前が載っており、青年団「新・冒険王」の韓国公演の際、そのことが原因で助成金がとれなかった、と(そのことはあとから判明)。
また、韓国の演劇界でも、演出家が絶対に偉いというトップダウン的な体制は嫌だという風潮があるという話など。日本の状況も似ているが、日本と違うのは、儒教的な年功序列の習慣があるということ。
ひとつ残念だったのは、司会の岩崎さんが「テロップにはフェイクもありましたよね、たとえば「セクハラ罪という罪はない」と閣議決定したこととか」って言われて、そうだったかな?と思って調べたら、やっぱりそれはフェイクでもなんでもなく、政府は、「セクハラ罪という罪はない」と閣議決定していた。字幕はすべて真実の歴史だ。
(閣議決定の仕組みについてはここでは書かないけれど)
演出の多田さん曰く、日の丸の旗をどう使うか(さりげなく床に置くのはNG)、という点でも日本と韓国の認識は違うとのこと。
東アジアに生きるわたしたちは顔は似ているけれど、育った文化環境も受けた教育も違う。そもそも生きる国が違うのだから差異は当たり前で、もしかするとその差異は途方もなく大きいものかもしれないけれど、こうやって、言葉の違いを超えて作品を共同制作できること。そのことが希望なのだと思った。
そして、いろいろな意見がありながらも、この作品に演劇賞を与えた韓国演劇界。
演劇の力は途方もないことを実感した作品だった。
今回の上演は、まず三重からコンタクトがあったそうだ。
関わった方すべてに、ありがとうと伝えたい。
多田さんがツイッターに、最後は韓国で上演したいというようなことを書いていた気がするので、まだ決まってもいない韓国公演をいまから心待ちにしている。
多田さんがツイッターに書いていたことを残すために、転載。
>>
4年ぶりの再演で大きく変わったのは3幕。「愛の迷路」の韓日2バージョンがなくなり、エジャの朝鮮舞踊が追加。歌謡交流の流れが抜けたのは惜しいが、より朝鮮民族寄りに。ラストの字幕も四年分追加、日本人が残るラストも今回の上演から。まぁでも、何より変わったのは韓国、そして変わらない日本。
エジャが舞踊を踊った後に机に置いた人形は、花嫁衣装を着た人形。韓国人が見たら誰が見ても花嫁、日本人には何か昔の雛人形?みたいにしか見えないけど。どストレートに朝鮮の花嫁の人形でした。白無垢みたいなもんですね。
「愛の迷路」は金正日のお気に入りの曲でもあったので、今回は代わりに金正恩お気に入りのRVを別シーンにブッコミました。まぁ、RVなんて日本のお客さん誰も知らないだろうけど。「빨간 맛」も例の北朝鮮でのコンサートで歌われた曲。以前は2ne1の「내가 제일 잘 나가 」のオリジナル版を使ってた。
朝鮮人役はかなり細かく日本語のレベルを戯曲の段階で設定してある。そして4幕では日本語が上手くなっている。ので、1〜3幕は韓国人俳優はわざと日本語を下手に喋っていて、スニムも4幕では全ての「つ」を完璧に発音している。
※劇団公式サイトより
《神奈川公演》2018年6月30日(土)~7月8日(日)KAAT神奈川芸術劇場
《三重公演》2018年7月13日(金)~15日(日)三重県文化会館
《兵庫公演》2018年7月20日(金)~22日(日)AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
《埼玉公演》2018年7月27日(金)~28日(土)富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
アントン・チェーホフ作『かもめ』を1930年代の日帝朝鮮に翻案、韓国最高峰の東亜演劇賞にて三冠を受賞し日韓合作のエポックメーキングとなった名作。歴史に翻弄される若き芸術家の物語、鳴り響くK&Jポップ、東アジアに生きる私たちの現在、未来へ、待望の再演。
原作: アントン・チェーホフ『かもめ』
脚本・演出協力:ソン・ギウン
演出:多田淳之介
出演:夏目慎也 佐山和泉 佐藤 誠 間野律子
ソン・ヨジン イ・ユンジェ クォン・テッキ オ・ミンジョン マ・ドゥヨン チェ・ソヨン チョン・スジ イ・ガンウク
※日韓二ヶ国語上演/日本語字幕付き
第12言語演劇スタジオ https://www.facebook.com/12thTTS/
東京デスロック http://deathlock.specters.net
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