冨田宏治先生講演会/主催:西宮革新懇

「参院選の結果と市民と野党の共闘の展望」と題して行われた冨田宏治先生の講演が示唆に富むものだったので、アーカイブのためメモを書き起こします。

(西宮革新懇主催で行われた講演会にて)


※革新懇とは(正式名称/平和・民主・革新の日本をめざす全国の会、通称/全国革新懇)

日本の政治運動団体。旧名「平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会」

1980年代にはじまった運動で、1981年団体結成。

①日本の経済を国民本位に転換し、暮らしが豊かになる日本をめざします。

②日本国憲法を生かし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざします。

③日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざします。

という「3つの共同目標」にもとづき、「国民が主人公」の日本をめざすとともに、一致する課題での共同をすすめ、思想、信条、支持政党の違いを超えて、目標や要求で力を合わせている。


この「革新懇」の全国交流会が神戸で開催され、少し関わらせてもらいました。

当日はもうバッタバタでいろいろ失敗もありましたが、まあ、概ね無事に…、帰宅して爆睡しました。




さて、ここから講演のメモを。


まずは、激動の世界情勢から。

トランプをはじめとする世界的な右派の台頭に対して、民主化デモ(キャンドル革命)の中から誕生した韓国の文在寅大統領、その下で大きく動いた南北朝鮮の対話、平昌五輪における歴史的な握手。

そして、急逝した翁長知事の意志を引き継ぎ、玉城デニーさんが当選を果たした沖縄県知事選、コービン(イギリス/労働党)やサンダース(アメリカ/民主党)における左派の台頭、それらを支持する若者の存在。

これらの世界的な動きを俯瞰しながら、冨田先生は、「グローバルな視点で見ると、わたしたちの活動は孤立していない」と。しかし、負けると世界に影響を及ぼす、とも。


沖縄県知事選での玉城デニーさんの勝利がわたしたちを励ました。

だからこそその沖縄の人たちの思いに報いなければ。

もっと広く世界を見ても、「民主主義」を求める世界の趨勢は互いに影響し合って発展しており、これは日本における「市民と野党の共闘」にも似ていることだ。


日本のワイドショーは文大統領の側近を「たまねぎ男」などと揶揄して、文大統領の退陣を展望しているが、韓国の人に聞けば、「パク・クネ弾劾に市民がどれだけの力を費やしたと思っているのか。文大統領の退陣にそれと同じだけのエネルギーを費やす人がどれだけいるのか、いないだろう」という反応だったとのこと。

また、南北首脳会談をはじめとした南北の融和ムードとそれを後押しするアメリカの動きを見て、安倍首相は会見の理由を「北朝鮮の脅威」から「自衛隊員のこどもがかわいそうだから」というお粗末な理由に変わった。

以前から発射されていた「(アメリカに向けた)長距離ミサイル」より、日本の安全保障にとっては「短距離ミサイル」のほうが脅威だ。


たとえば、北朝鮮からアメリカ本土を狙ったミサイルは、全く日本上空を飛んでいない。

ロシアのはるか上空=宇宙空間を飛んでアメリカ本土に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)に対し、日本のミサイル防衛体制は無関係であり、全く意味をなさないもの。

防衛予算増額の口実として北朝鮮のミサイルの脅威を煽り、国民の間に危機感を煽るためのフェイクではないか。


2019年6月30日に行われた板門店における「米朝首脳会談」は、G20で、首脳会談を求める文大統領を無視し続けたあとの出来事であり、だからこそ安倍首相は「顔に泥を塗られた」として文大統領を恨みに思っている。


トランプ大統領が外政ではなく内政によって追い込まれているように、世界は互いに影響し合っている。

安倍首相の行動を国内だけでなく世界情勢の中で捕えることが大事。

トランプ大統領は、ロシアゲートなど内政で追い込まれているがゆえに、外交的には過激になっているため、日本にも厳しい要求を突きつけている。  


アメリカではトランプ大統領が悪政を働く一方、オカシオ=コルテスさんが現職議員を破り、史上最年少で下院議員に当選。

コルテスさんの支持母体は、20~30万人の市民を束ねる、アメリカでも有数の組織であるピース・アクションである。


ここから、国内政治の掘り下げへ。

安倍首相はことあるごとに「悪夢の民主党政権」と批判するが、自民党が再び政権を握ってからのほうが貯蓄ゼロ世帯は増えている。どちらが悪夢なのか。

貯蓄ゼロというのは見た目にはわからないこと。見た目にはわからないところで、貧困が進んでいる。

日々の生活への不安が強い状況で、政治に関心を持てるかどうか。


大阪全体では5人に1人、門真では3人に1人のこども(全国平均は6人に1人)が「夏休みが明けてはじめて昼食を食べられるようになる」=「学校が休みの間は家庭で昼食が食べられない」状況がある。

(冨田先生から、西宮でも調査してみてはという提案あり)

大阪でシンママ応援団をやっている人の話では、「シングルマザーは”実家”がない」人も多く、実家の支援を受けられないことも貧困の一因になっている。


「人工透析の患者は全額実費負担にしろ、それが無理なら殺せ」と主張したことで、図らずも維新の本質をさらけ出した長谷川豊も話題に(麻生財務大臣も、過去、似た趣旨の発言を)。

誰がこのような発言に煽られているのか?

彼らはこのような主張を、いわば確信犯的に発しており、維新の強い大阪では、この確信犯的な煽りに呼応する人が特に多いということ。

たとえば、タワマンに住む中堅サラリーマン層。彼らは比較的高い税金を払っているのに、何も見返りがないと感じている。

町の構造が人の思想をも変えている。タワマンから長屋を見下ろす構造があり、タワマンの下水が耐えられなくなったとき、長屋にも被害を及ぼす。


これまでは政治に失望した人に対してのアプローチを語ってきたが、「政治に関心の持てない」ところまで追い込まれている人について語るようになった。

生活が苦しい人に対し、「政治に参加しない」「投票に行かない」といくら責めても反感を買うだけだ。


現代は、「ポスト真実」の時代。

民主主義の根幹である熟議の前提としての事実・真実という価値基準の崩壊。

ハンギョレ新聞(韓国)と日本のメディアでは、同じ事件・出来事を扱っていても内容は全く違う。

メディアのファクトチェックが必要な時代になってしまった。


サンダース(アメリカ)、コービン(イギリス)、ポデモス(スペイン)など新たな民主的政党の台頭、オーストリア大統領選での中道左派候補の勝利。

これらに共通するキーワードは、「真実」と「寛容」。

不寛容な敵に相対するとき、わたしたち自身が不寛容さを持つのはやめよう。

ちょっとした違いを取り上げ、煽り、対立を深めることはやめよう。

一致点での共闘を進める「市民と野党の共闘」を深める上でも、大切なことだ。

民進党の瓦解から希望の党結党、「寛容な改革保守」を自認し、追い風を受けていた小池百合子氏および希望の党ブームを終焉させたのも、小池氏自身による「排除」発言だった。

「寛容か不寛容か」、この言葉が全てを変えた。

「不寛容なポピュリスト」の本性が顕わになり、希望の党ブームは終焉した。


野党の中で動揺する議員がいても、踏みとどまらすことができる。

それは、単なる「野党共闘」ではなく、「市民の力」があったからだ。


安倍首相は、2017年5月3日―憲法制定から70年目の節目で、2020年までに改憲、新憲法施行を目指すと宣言。

「集団的自衛権」は「自衛権」ではなく「他衛権(他国防衛)」であり、言葉としておかしい。

「自衛権」というのは「個別的自衛権」しかあり得ない。安全保障のため必要だと言われると思考停止してしまう人が多いが、言葉に惑わされてはいけない。

韓国が一方的に日本とのGSOMIAを破棄したということが批判されているが、GSOMIAは秘密保護法の成立により締結できたものであるので、そもそも成り立ちの前提が間違っているのでなくてもいいものである。


安倍政権は「戦争反対」の国民世論をどう抑え込むかということに腐心しており、①特定秘密保護法(2014年施行)、共謀罪(2017年施行)、②メディアへの露骨な懐柔と干渉、③安倍政権を支持するネトウヨによる攻撃と炎上→モノ言えぬ社会への道と、国民世論を変えるために着々と行動を進めている。

先の参院選はこれら安倍政権の下で成立した悪法を廃止し、政権を変えるための初戦に過ぎない。


2019年5月、市民連合と4野党1会派の間で合意された共通政策には、「個人の尊厳を守る」という意志が貫かれている。

もともと民主党政権で進められていた(8%への)消費税増税を中止にするという項目は、よく合意ができた。

核兵器禁止条約を批准するということも、共通政策に入れたい。


2019参院選は2016年参院選よりも(新しく有権者となった10代の増加分を除けば)380万票増となったが、今回も「風」は吹かず止まったままになった。

しかし、地域によっては「市民と野党の共闘」が深化している地域もあり、「野党共闘」の経験を最も積み重ねているのが新潟県だ。

新潟では、2017衆院選における6選挙区のうち、5選挙区で野党候補が一本化。うち、1~4区で野党候補が当選し、落選した選挙区でも、元知事相手に10000票差、相手候補に2000票差と肉薄している。

嵐という悪天候の中でも、投票率は前回衆院選から10%も上昇した。

新潟では、各政党と市民の信頼関係が固いのだろう。新潟の経験を全国に広げよう。


今回の参院選で、もう一つ特筆すべきことがある。

れいわ新選組の躍進だ。

山本太郎代表は、街頭演説でも政見放送でも徹底して「生きづらさを抱えている人々への呼びかけと寄り添い」を訴えた。

「あなたがいま生きづらいのはあなたのせいではなく、生産性で人の価値をはかる今の政治がおかしい。だからそれを変えよう」と訴え、そのことが、有権者に届いた。

冨田先生はこの現象を前に、「なぜ僕らがこれをできなかったのかと思った。もしかしたら、苦しんでいる目の前の人に気づけていなかったのかもしれない」と思ったそうだ。

政治に関心を持ってとばかり言ってきたが、「なぜ政治に無関心なのか」ということを考えてこなかった。


「希望」を語るとともに、「日本ではなぜ政治に無関心な人がこれほど多いのか」ということを考え、困っている人に徹底的に寄り添う覚悟を持つ。

そのことを考えた講演でした。


その後、フロアからの質問がいくつか。

西宮は大阪と同じく、維新の影響が強い地域ということで「なぜ維新は強いのか」という質問が出たが、冨田先生の答えは、「2019参院選で維新は躍進したわけではない。現状維持であり、維新は元から強いのだ」というもので、わたしの認識とも合っていた。

維新は元自民の議員も多く、業界団体や会社を押さえ、まるごと投票依頼をするという点で自民党の選挙手法とよく似ている。

今回の参院選大阪選挙区でも、落選危うしとされていたはずの実績も何もない新人候補が蓋を開ければトップ当選したり、票割りがきっちり行われている。

票割りがきっちり行われているということはつまり、票の出所をきっちり把握しているということだ。

無党派層が維新を支持していると思いがちだが、彼らの支持者はそうではなく、投票率が上がり無党派層が動けば弱体化するだろう。

楽観はできないが、悲観する必要もない。


もう一つフロアからの質問で、「兵庫県における市民と野党の共闘」についてがあり、会場の雰囲気が悪くなりそうだったのだけど、冨田先生がうまく返して(内容は忘れてしまいました)事態は収束した。

たしかなことは、歴史は一直線には進まないということ、わたしたちはそれぞれに正しいと思う考えを―時にぶつけあいながら―「誰もが自分らしく生きられる社会/誰一人取り残されない社会」という共通目標を胸に、歩むしかないということ。


悪政のために苦しみ、かぎられたただ一つの人生を喜びをもって生きられない人が「たった一人でも」いるのならば、わたしたちの仕事はそのたった一人のために働くことなのだ。

そのことを忘れてはいけない。


「市民と野党の共闘」は、単に選挙で得票するためのものではない。

(ただ、市民と野党の共闘が遅れている兵庫県内の状況をどうにかする必要がある、ということは肝に銘じている)


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講演の趣旨には関係がないし、冨田先生が言及したことでもないが、この講演を聞いていて、「資本主義が発展すると富は増えるが、会社組織は収斂していく」のかなということが頭をよぎった。

マーケティングで言われる商品の4段階のライフサイクルー導入期・成長期・成熟期・衰退期を念頭に置くと、資本主義の発展とともに、導入期~成長期では会社は増える(大小問わず/合併も頻繁に行われる)が、無限に増えるわけではなく、その増殖は成熟期では鈍り(合併が落ちつく)、衰退期では減っていくだろう。

M&Aを繰り返したりとその道は平坦ではないし、衰退期に至った段階では中小零細よりも大企業が多くなっているという状況はあるだろうけれど、資本主義も永遠に続くものではない。

現に、いま、マルクスが眼前にしていた「資本主義」とは異なる(発展した)「資本主義」の世界をわたしたちは生きている。


メモの端に「ポストドラマ ブレヒト」という書き残しがあるのだが、この講演自体がもう一ヶ月以上も前のことで、このメモの意味が思い出せないことがもどかしい。

Whatever choice you make

まだ生きてる

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