名古屋めし+まちあるき+あいちトリエンナーレ
これまでのあいちトリエンナーレには全く関心がなかったのだけど、津田さんが芸術監督になり、舞台芸術部門のキュレーションが相馬千秋さんに決まり、そして参加作家の男女比を平等にというアファーマティブアクション、「情の時代」というコンセプトに関心を惹かれ、ニコ生で放送された津田さんと東さんのトーク(残念なことに、批判に利用されるようになってしまった)をくりかえしみて、とても楽しみにしていました。
(本当は会期終了間際の10/13ならPA作品が3つみられるスケジュールなのでその日に合わせたかったのだけど、何も考えずに、直前にKEXのチケットを買ってしまったためこの日程になったという残念な経緯が…。モニラ・アルカディリ「髭の幻」を観劇できたので結果オーライ)
チケットをとった直後、「表現の不自由展・その後」中止が発表に。
韓国の2名のアーティストが出展を取りやめたのに続き、抗議のため複数のアーティストが作品を一時的に取り下げ、一部を改編したり、諸団体から声明が出たり、津田さんが登壇する予定だった神戸でのシンポジウムが中止されたり(DOMMUNE SETOUCHIは形を変えて実施されたのに)、記者クラブでの会見、「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けた参加アーティストによる様々なステートメントや動きが立て続けに起こり、「人権侵害」「女性蔑視」という問題を差し置いて、あくまで芸術の枠内で事態を処理しようとするアーティストに対して「Jアート」などという言葉で蔑むという残念な分断が生まれるという情勢の中で、複雑な思いを抱えながらの旅でしたが、結論から言うと、あいちトリエンナーレ、むちゃくちゃ楽しかった。
その思い出をつらつらを書こうと思います。
普段、旅行に行ってもその土地のものを食べたりせずに安いチェーン店に入ることが多いのですが、今回は食も充実させようと下調べをして旅をしたので、名古屋めしに大満足。
昼過ぎに名古屋に着いて、まずはたまたま見つけた「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」へ。
その後、モニラ・アルカディリ「髭の幻」を観劇後、円頓寺デイリーライブにちょこっと参加、そして夜は、今回の旅ではじめての名古屋めしを。
いろいろ迷いましたが、やっぱり名古屋と言えば矢場とん。
何度か食べたことはあったけれど、こんなおいしかったっけ?と思うほど、今回はおいしく感じられたので、おみやげに矢場とんのとんかつソースもしっかり購入。
モニラ・アルカディリ「髭の幻」は、ビジュアルアーティストならではの作品で、舞台美術が印象的な作品でした。めちゃくちゃ新しい表現。
ただ、寝不足のためか作品が心地よかったためか(音楽もとてもよかった)、上演時間の半分くらいは眠ってしまったかもしれない。
上演後に行われたモニラさんとサエボーグさんによるポストトークもキレキレでとてもおもしろかったです。
相馬さんのMCもとてもよかった。
まずは相馬さんの説明で、この2作品の上演が同時期に設定されたことの意味を知る(キュレーションってすごい)。
モニラさんは日本に留学経験があり、日本語が堪能(「伊賀のカバ丸」に”なりたくて”日本に来たのだそう。アニメの世界観が、日本では現実に存在しているものだと思っていたそうだ。お召しになっていたDHALSIM Tシャツには笑ってしまった)で、アニメ好き。表現にもアニメ的なものがある。
奇しくも前回のあいちトリエンナーレの芸術監督である港千尋さんの教え子なんだそう。
もともとはビジュアルアーティストで、舞台芸術作品をつくりはじめたのは最近とのこと。
本作はモニラさん自身が出演もしているんだけど、モニラさんは自分の身体を彫刻として使っていると。
サエボーグさんもモニラさんに共感するところがあり、サエボーグさん自身オタクで、好きなキャラの絵をひたすら書いているようなこどもだったらしい。
自分の身体を「モノ」として扱い、表現するということで2人の意見が一致。
そして、自分が作品の世界に入るというよりも、自分は「神ポジション」にいたいというサエボーグさんの話に、モニラさんも同意。
相馬さんは2人の共通点をそれぞれの作品から感じ、この2人のアーティストの作品を並べたのか。キュレーションに唸った。
相馬さんのインタビューを見つけた
https://natalie.mu/stage/pp/aichi2019_pa01/page/2
本作は、モニラさんが日本留学中に、「あなたには40人の先祖の霊が取り憑いている」と霊媒師に透視された体験から出発するのだけれど、「幽霊」という概念はアラブ世界にはないそうだ。
また、「霊」というモチーフには、クウェートという国の隠された歴史ー他の歴史あるアラブ諸国とも違うー迷子になった国の歴史、という含みも持たされているそうです。
(モニラさんはクウェートの隠された歴史を「オイル発見後の1930年代後半以降」だとおっしゃっていたような気がしますが、わたしの記憶が曖昧です。ごめんなさい)
「40人の霊が憑いている!」と指摘したのは友だちのお母さんで、その頃、モニラさんは髭の男性の絵ばかり描いていたそう。憑かれていたからなのか?!という笑い話も。
このモニラさんの話に対し、サエボーグさんは、右派の考えを持つ友だちがいるのだが、自分が生きてもいない時代の話を力説するのが、まるで何かに憑かれているように思える、と。
40人の霊はスクリーンに動画として投影され、その霊たちと生身のモニラさんが舞台上で対峙するという表現方法がとられている。
40人の霊は、いまではむずかしいと感じる言葉で詩を読んでおり、歴史と対話するという意図がある。
アラブの砂漠世界では、詩は、絵画などよりも最も重要なアートなのだそう。
対して日本では、ビジュアルアートの文化が進んでいると。
本作ではモニラさんが髭をつけたり男装するシーンがあるのだけど、これを「自国で上演できますか?」という問いには、はっきりNOだと答えるモニラさんに、ハッとさせられました。
アラブ世界(イスラム)では男と女の境がはっきりしており、男装はタブー(その逆もまた然り)。男装した時点で宗教的にNGで、異国のほうが自由があると思うことはある、と。
歴史・宗教・セックスに関するテーマがタブーとされており、実際にクウェートで検閲にかかったこともある。
でも、検閲の理由がいつも違う。その日、たまたま検閲官の気分がよくなかったなどという個人的な理由で検閲にかかることもある。
検閲をかいくぐるためにの表現にすることもあり、検閲もおもしろいとたくましい発言が。
サエボーグさんの作品はクウェートで上演できますか?という問いには、無理ですね、と笑いに。
周知のとおり、まさに検閲が行われている(ここで言う「検閲」は、あいトリ実行委員会や愛知県のことを指していません)あいちトリエンナーレで、モニラさんは、母国では上演不可能な作品を、日本では上演することが可能なのだ。
逆もまた同じで、今回、「日本人の心を踏みにじるものだ」という攻撃に曝されている平和の少女像は、異国・ドイツでは何事もなく展示ができている(在ドイツ日本大使館からクレームがあったそうだが)。
自国で上演/展示のできない作品が、異国では上演/展示可能となるケースはまだまだあるだろう。
考えさせられるポストトークになりました。
モニラさん本人は、キュートで聡明な方でした。
対談相手のサエボーグさんも作品とはいい意味でギャップのある方で、口下手だとおっしゃるけれども、明解でわかりやすく、このおふたりのポストトークを聞けたことに感激。
翌朝、愛知芸術文化センターへ向かう前にまずはコンパルでモーニング。
一番人気のえびフライサンドが単品で930円ということにビビって、良心価格の普通のモーニングにしました。
なんと、コンパルのアイスコーヒーはホットで出されたものを氷入りグラスに自分で投入するタイプ。おいしかったです。
腹ごしらえをすませ、あいちトリエンナーレへ。ようやく本番って感じです。
(①栄駅のコンパル→②愛知芸術文化センター→③名古屋市美術館→④円頓寺というルートでまわったんですが、愛知芸術文化センターから円頓寺はあいトリバスが走っているので、②と③は逆の方がよかったかもしれません。開館時間も、愛知芸術文化センターは10:00~、名古屋市美術館は9:30~となっているので、名古屋市美術館へ朝イチで向かったほうが最大限に時間を使える、かも)
かっこいいエレベーター。
今回のあいトリ、デザイナーの仕事が総合的にすばらしい。
いきなり洗礼。このあと徐々に慣れてはいくけれど、「展示を一時中止(展示内容を変更)しております」という言葉が重い。
元の作品はどんなものだったんだろう。
暗がりに作品の一部のようなものが雑然と置かれた風景が悲しい。
全ての作品と作家に言えることは、展示を一時中止することも、改変することも、続行することも、全て彼らが選んだこと。
わたしは、その意志を尊重したい。
チラシにも大きく使われているウーゴ・ロンディノーネの作品。
これ、ずっと実際の人間が演じている作品なんだと思っていたので、人形だと知って驚いた(もちろん、会場に来る前には知っていたけれど)。
上記の理由もあり、この作品はどうしても残してほしいという実行委員会の交渉を受けて、アーティストボイコットには加わらず展示続行を決めたウーゴ・ロンディノーネの心中はいかばかりと想像してしまう。
リアルです。
夜回りをする人、ビビっちゃうのでは。
田中功起さんは、ちょこっとだけ見える形に。
(実はアッセンブリーのチケットを予約していたのだけど、支払い期限を忘れてしまうという痛恨のミス!)
作品を写真には撮っていないんだけど、愛知県美術館で印象に残った作品は、
・アンナ・ヴィット「60分間の笑顔」
(60分間、同じ姿勢で笑顔をつくり続ける人を映した映像作品)
・永田康祐「「Function Composition」「Semantic Segmentation」Translation Zone」
(日本で手に入る材料で東南アジア各国の料理をつくることを通して、文化や言語についての考察が語られる。映像作品なんですが、テキストがすばらしかった)
・伊藤ガビン「モダンファート 創刊号 特集 没入感とアート あるいはプロジェクションマッピングへの異常な愛情」
(動く雑誌。作品はもとより、現実を嘲笑うかのような前説が最高におもしろい。作品タイトルも逸脱)
・菅俊一「その後を、想像する」
(こどもも楽しめる作品。人間の想像力の豊かさ・多様性を感じる)
・袁廣鳴「日常演習」
(愛知県美術館に爆発音を轟かせたアーティスト(「トゥモローランド」にこどもが本気でビビっていた)。いまも台湾でこのような防空演習(萬安演習)が行われていたことすら知らなかった。人のいない都市はひたすら不気味)
かな。でも、どれもよかったです。
あと、特筆すべきはラーニング・プログラム。
特に、アート・プレイグラウンドはすばらしかった。きちんと資金を確保してアーティストが入れば、こどもも含めた地域の人たちとの協同によって、こどもたちにこんなに楽しい創造空間を提供することができるのだ。
ここは開館時間の設定があるようで、わたしがみに行ったときは見学のみだったんだけど、同じく見学に来ていたこどもたちが、「つくったやつある?」「あれ!」なんて会話をしていて微笑ましい。
正直、前職は人形劇団制作なのでとても嫉妬した。
こんなの、公的機関しかできないですよ。
公立の美術館でやるということで、学校や地域の協力も得られやすくなるしね。
これこそ行政や公的機関が行う最良のものだと思います。
そのほか、スタッフや観客同士で語り合う場も用意されていて、時間があれば参加したかった。
ボランティアガイドツアーもいい雰囲気で、こちらも時間があれば参加したかったです。
そして、このあとは、あいトリ参加アーティストの小田原のどかさんがツイッターで紹介しているのをみてから絶対行きたい!と思っていた「カフェ・ヴァンサンヌドゥ」へ。
愛知県芸術文化センターからは徒歩5分くらい?
ハイセンスな内装で、うす暗く、落ちついて読書がはかどりそうな空間。
アップルパイが有名だと聞いていたのですが、ドリア(サラダ・ドリンク・デザート付)が安かったのでそれにしちゃいました。お昼時だったし。
ビルの地下にあるので、ちょっとわかりにくかった。
えびのドリア。おいしかった!超おいしかった!!
そして、遠目に大須をみたりしながら歩いて名古屋市美術館へ。
名古屋市美術館はこじんまりとしていて、そのわりに力のある作品が並んでいて、濃密な空間。
相変わらず作品そのものの写真は撮っていないけれど、碓井ゆいさんの「ガラスの中で」という作品がかわいいかつ繊細でとてもよかった。
モニカ・メイヤー「The Clothesline」は展示の一部変更ということで、本来ならばみられるはずだった来館者の声がみられず残念だったけれど、そのことによって想像は膨らむ。
モニカ・メイヤーは1978年からこのプロジェクトをはじめたようで、日本社会のあまりの遅れに頭がクラクラした。
ホドロフスキーのワークショップ風景を映像でみることができたのが収穫でした。
人間が生まれるまで(母の胎内から外に出るまで)を想像するワークショップをホドロフスキーもやっていた(!)
最も印象に残ったのは、青木美紅「1996」。
「人工授精」で生まれたアーティストが、クローン技術で生まれた羊のドリーに親近感を感じ、その生まれた場所を実際に訪ねたことから生まれた作品。
言葉だけ知って知っているつもりだったという自分の浅はかさに否応なく気づかされて絶句。
(ドリーが短命だったのは、「クローン技術」のためではなかったんだね)
作品そのものはファンシーで手作業のやわらかさが溢れていて心地がよかった。
ほか、名古屋市美術館で気にいった作品は、なんといっても
・Sholim「Sholim Inspired by Tokyo Story」
(ループするGIF動画。ハイセンス…)
・カタリーナ・ズィディエーラー「Shoum」
(英語がわからないセルビア人が、英語の歌詞を耳で聞きとり書き起こす。なるべくセルビア語でも意味をなす歌詞を書きとるが、全くそうでない歌詞を書き起こす場合もある。旧ユーゴスラビアで生まれたアーティストの作品)
Sholim作品は静止画では伝わらないのが残念。
これで、大体15:30頃。
夕方に円頓寺・四間道界隈をまわるのも暑くてどうかとは思ったけれど、夜は円頓寺デイリーライブがあるのだから仕方がないということで、いざ、円頓寺へ。
この界隈ではキュンチョメが結構なボリュームだと聞いていたので、直行。
偶然いい時間の整理券をもらえたので、キュンチョメスタートまで歩いてまわる。
キュンチョメ会場の近くにあいトリバスが!はじめてみた!乗りたかった!
円頓寺界隈ではやっぱり弓指寛治「輝けるこども」かなぁ。
彼は自殺した母をモチーフにした作品で注目を集めたのだけど、今回も、実際のトラック事故に巻き込まれて亡くなったこどもたちをモチーフにした作品を出展。
丁寧な取材を進め、遺族の方とよい関係を築いてこられたことがわかる作品群。
息がつけない、何も言葉にならない。作品の圧倒的な力が迫ってくる。
同じ建物の2Fでは、毒山凡太朗「Synchronized Cherry Blossom」。
1895年から50年間に及ぶ日本統治時代に国家教育を受け、日本語を話すことができる 台湾のお年寄りへインタビューを行った映像作品。
「学校で、頭が割れるかと思うくらい日本人の先生に殴られた」と言ったあとに、「日本の統治がなければ台湾はこんなに発展しなかった」と言う台湾のおじいちゃんの複雑な心を感じる。
その目には涙が浮かんでいたように見えた。
名古屋市美術館に展示されている藤井光「無情」(日本統治時代、日本への同化目的で台湾に設置された国民学校の映像)と対になる作品かのように思える。
たまたま、サナトリウムのイベント告知を見つける。
時間があれば参加したかった。
おもしろかったのは、葛宇路「葛宇路」。
<北京市内の無名の道路に、作家が自分の名を表した標識を設置したところ、そのまま数年間にわたって撤去されないどころか、実際に中国のGPSを使った地図サービスに反映され、宅配便の送り状などにもその名前が掲載される ようになりました>とのことで、中国でこんなことができるのかと驚いた。
わたしは、近くの国のことすらあまり知らない。
ユザーンの修行場「Chilla: 40 Days Drumming」も覗いてみたけれど、日曜日だからか何なのか部屋には人がびっしりで、まるでユザーンと観客のタイマンのような厳しい空間だった。
いや、ユザーンはたしかに修行なんだけど…。人がびっしりで暑い空間に、直立で耐える観客もすごい。
もっとゆったりみるような感じかと思っていた。
最後は、円頓寺デイリーライブへ。
9/7~8にあいトリ行くのを決めたのも、bonobos蔡さんが出演するからと言っても過言ではない。
なぜか蔡さんの唄うラブソングを聞いていたら、弓指寛治作品を思い出して涙が出そうになった。堪えた。
バスの時間があるので、19:40頃に会場をあとにする。
まちあるきをさせる(あえて「させる」と書きます)芸術祭はいいな、と思います。
名古屋にはこれまで何回か来たことがあるけれど、いずれも観劇が目的で、こんなに歩いたこともなかった。
下町の風情を残した円頓寺周辺から、遠く名古屋駅のタワービルが見える風景もエモーショナルでした。
この夏、わたしの心を最も揺さぶったのは「あいちトリエンナーレ」。
騒動が関係者にとって納得できる形で収束することを期待します。
そして、これまで人権を傷つけられた全ての人へ、二度とそのようなことが起こらない社会をつくるために力を尽くすと誓いたい。
円頓寺ニュース。
ご住職さんがあたたかい気持ちでアーティストを迎えられたことがわかり、嬉しい気持ちに。
「芸術監督通信」。
(下の写真は、キュンチョメの会場となったアパートの掲示板に張られていたもの)
こんな努力もあったんだな、と。
エモが炸裂する名古屋のまち。
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