「11'09''01/セプテンバー11」/11人の監督によるオムニバス映画
(この記事ははてなブログから引っ越ししてきました。2017年執筆)
2001年、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに2機の飛行機が突っ込み、その後ビルは倒壊。多くの死傷者を出す大惨事となった。
首謀者は、イスラム主義を標榜するアルカイダの創始者であり精神的指導者でもあるウサマ・ビン・ラディンと断定され、世論の後押しも得たアメリカ政府はアフガニスタンとイラクへ侵攻。ビン・ラディンはアメリカ軍によって殺害されたが、アメリカ軍の侵攻は止まらず、時のアメリカ大統領・ブッシュは、大量破壊兵器を保有するテロ支援国家であるとイラク・イラン・北朝鮮を名指しで批判、イラク戦争はその後実に8年にも渡る泥沼と化し、テロ組織を育む土壌となった。
2017年現在、イスラム過激派・ISISが、市民をも巻き込んだより残虐なテロ行為を繰り返している。フィリピンでも住民を巻き込む戦闘が起こり、どこか遠い国の出来事として認識していた日本人を驚かせた。 2001年から2017年へ、その16年の間に何人の人が傷つき、破壊され、苦しい生活を強いられてきたのか。
わたしには皆目見当もつかない。
たまたま、映画「アメリカン・スナイパー」「ルート・アイリッシュ」を立て続けにみて、「セプテンバー11」を思い出したのだ。 「アメリカン・スナイパー」「ルート・アイリッシュ」ともに、もともと民間人だった(もともと民間人でなかった人間なんていないけれど)中東の戦場を体験した人間が主人公で、物語やそれぞれが従軍した背景といった設定はそれぞれ違うものの、そのどちらの主人公もクライマックスで死亡するという筋書きだ。
ひとりは凄惨な戦場での経験からPTSDを引き起こした元軍人に殺され、ひとりは無実の人をも巻き込む殺人を犯し、自殺する。2人に共通するのは、すでに戦場を去ったあとに、戦場にまつわる何らかのために死んだということだ。 2人の主人公が経験した「中東の戦争」を思ったとき、学生の頃にみた「セプテンバー11」を思い出したのだ。
でも、みたと思っていた時期はおそらく記憶に間違いがある。公開当時に映画館でみたと思い込んでいたのだけどそれは間違いで、日本映画学校に通っていた2008年前後に、川崎市アートセンターで行われた今村昌平の特集上映でみたのだと思う。
映画が公開された2002年、わたしは中学生だ。
あらためて「セプテンバー11」をみると、今村昌平が監督した11本目、このオムニバスのラストとなる作品しか記憶に残っておらず、ほかはすべて初見のような感覚だった。
うーんこれは、みたことがあると思い込んでいただけかもしれないという思いもよぎったが(でも、本編は覚えていないのに、インターバルのCGだけはみた記憶があった)、ラストの今村監督の番になり、記憶が一気に蘇った。
そうだ、丹波哲郎演じるエロ坊主もしっかり覚えていたもの。
2001年9月11日のあの大事件を通して、11人の映画監督たちは何を感じ、何を描こうと思ったのか。
「11分9秒01」という時間に、込めたいと願ったものは何なのか。
本作はテロの起こった翌年、2002年同日にメディアで公開(劇場公開は2003年)されているので、動きは速い。
一年の間に、世界に散らばる映画監督たちに参加を呼びかけ(当然、誰に監督してもらうかという検討は随分あったはずだ)、撮影し、オムニバス作品として並べ、公開する…というフットワークのよさに驚く。
演劇ではこういうの少ないな、っていうか、わたしの浅い演劇経験の中にはこのような企画は見当たらない。やってみればいいのに。
同じテーマを与えられても、まったく違う作品が立ち上がってくるから。それこそ多様性を感じる。
(2019年追記:芸術祭というフォーマットでキュレーションされた作品群には、そのような意図も含まれているかもしれない。あいちトリエンナーレにはその心意気を十分に感じた)
イランの女性監督サミラ・マフマルバフは、イランに住むアフガニスタン難民の姿を切り取った。彼らは老若男女問わず、レンガ造りの核シェルターをつくる仕事に従事していた。
若い女性教師は、そんなシェルターを作っても核爆弾を落とされたらひとたまりもないと言う。レンガ造りで泥だらけになるこどもたちに向けては、それよりも学校へ来て、勉強しましょう、と呼びかける。
ようやくこどもたちが集まった学校で、彼女はアメリカで起こったことを説明するのだが、こどもたちにはいまいち伝わらない様子だ。
黙祷しましょうという彼女の言葉を否定するわけでも従うわけでもなく、お互いに無邪気な会話を続ける。こどもたちには、ワールドトレードセンターはもとより、ビルという言葉が何を意味するのか、どんなものなのかということがわからないのだ。
女性教師は、レンガを焼くために使用する高い煙突を指し、このような高いところに飛行機が突っ込んだのだと説明する。
こどもたちはその高い(といっても、ワールドトレードセンターよりははるかに低い)煙突を見上げ、ようやく静けさを得て黙祷する。
男女の愛を描くことに長けたフランスのクロード・ルルーシュ監督は、やはり一組の男女を描いた。 彼らは、911の前日に別れ話をし、別れる決心をした。
911当日、男性は、仕事のためワールドトレードセンターへ向かった。そして事件に巻き込まれ、泥だらけの姿になりながらも彼女のいる家へと帰った。
一切の音を遮断された彼女はいまだ事件を知らず、彼のひどい姿をみて驚いた。それほど予期せぬ、突然の出来事だった。
エジプトのユーゼフ・シャヒーン監督は、自らを主役に据えた作品を撮った。
彼は新作映画の記者会見をすることになっていたのだが、911を理由に、いまは女優の衣裳について語る気にはなれないと会見の延長を申し出、ジャーナリストたちから非難を受けながらその場を去った。
その後、海をみながら物思いにふける彼の前に、1983年のベイルートで起こった自爆テロで死んだという若いアメリカ兵が現れる。彼の姿は、監督にしか見えないらしい。
場面は変わり、監督は、パキスタン一家の家にいた。これからまさに自爆テロに向かわんとする息子と、その家族がいた。
ベトナム、イラク、広島・長崎、パレスチナ、イラン、アフリカ…、これまでアメリカのために血を流した人々が現れる。「国益のためだ」と、若いアメリカ兵は言う。
対して監督は、その代償は誰が払うのだと叫んだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナのダニス・タノヴィッチ監督は、故郷であるボスニアの、内戦後の姿を描いた。
未亡人である主人公は、スレブレニツァの虐殺が起こった11日に行われるデモに参加するためスレブレニカ女性連合の事務所へ足を運び、そこで911を知る。
女性たちが神妙にそのニュースを食い入るように見つめる中、今日のデモは中止だと告げられるが、それでも主人公はひとり、デモをしようと立ち上がる。いや、ひとりではない。
彼女の傍には、彼女を労わる車椅子の男がいる。そして、歩きはじめたふたりのうしろに、多くの女性たちが静かに加わっていく。
プラカードとしての幟が手から手へ、厳かな様子で続いていく。
ブルキナファソのイドリッサ・ウェドラゴオ監督は、病気の母親の薬代を稼ぐために学校をやめ新聞の販売をはじめた少年の姿を捉えた。
ある日少年は、ブルキナファソの街中でビン・ラディンによく似た男をみつける(イスラム教徒の特徴を兼ね備えているだけでまったく似ていないのだけど。ここがおもしろい)。彼を捕まえれば、2500万ドルだ!
2500万ドルという大金の使い道について、「エイズやマラリアで苦しむ人たちを助けられる」とこどもたちは話している。
こどもたちは、大人は金を何に使うか? 女と別荘とタバコだ、と言う。
彼は学校の仲間たちと、ビン・ラディンを捕まえるべく奔走する。武器を手に取り、追跡し、ビデオカメラでこっそりと撮影する。
しかし空港のセキュリティで彼らの追跡は閉ざされ、ビン・ラディンとされた男は出国してしまう。 「ビン・ラディン戻ってきて」と、少年は涙する。
イギリスのケン・ローチ監督は、1973年の同じく9月11日に起こったチリのクーデターを題材とした作品を撮った。11分間、男は手紙を書き続ける。
誰に?
この事件で肉親や友人を亡くした人たちに向けてだ。
この男は、1973年9月11日に起こったチリのクーデターを体験している。
1973年9月11日のチリで起こったクーデター。それは、チリの共産主義化を阻止するためのアメリカの乱暴だった。実際の映像が差し込まれる。
チリの人民は、自らの手で、それも世界で初めて、自由選挙によって社会主義政権を選出した。
しかしその結果に、ドミノ理論による南アメリカの共産主義化を警戒するアメリカは反発。
アメリカに支援された軍部が、合法的に選ばれたアジェンデ大統領ほか政府の人間を殺害し、罪のない人々の血が大量に流された。
お互い、いつまでも忘れないようにしましょうと、男はペンを置いた。
メキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は、実際の映像を用い、暗闇と光による表現を選んだ。
人々のざわめき、暗闇、そして光、炎上するワールドトレードセンターの高層階から飛び降りる人、人、人…。落ちていく間、彼らは身を翻す。手を羽ばたかせるように動かしている。まだ意識があるように見える。
しかし、行きつく先は固い地面である。結果は誰もがわかっている。
でも、ビルの中には逃げる隙間などなく、迫りつつある炎から逃げるにはこうするしかなかった。
癒しの音楽と、各国のニュース音声が聞こえる。
神の光は我々を導くのか、あるいは、我々を盲目にするのか。
イスラエルのアモス・ギタイ監督は、同年同月同日、まさにその日にイスラエルで起こった自爆テロの様子を描いた。
事態の収拾に追われる警察や救急隊員を、マスコミや野次馬が邪魔をする。
女性ジャーナリストは警察に質問を投げかけるが、こんな事態なのだ、誰も答えはしない。
彼女はなおも現場に留まり、テロ現場の取材を続けようとする。
そこへ、ニューヨークで同時多発テロが起こったというニュースが入る。
編成局長からは電話で、「ニューヨークで大事件が起こっているのに、くだらん情報番組なんてやっている暇はない」と彼女を叱る。
彼女は気落ちした様子で現場をあとにする。
いまここでも、テロ事件が起き、人々が傷ついているというのに。
インドのミラ・ナイール監督は、911後、行方不明となった息子を探す母親を撮った。
911後、イスラム教徒はいわれなき誹謗中傷を受けていた。
母親は911後に行方不明となった息子を探しているのだが、FBIは、テロの容疑者ではないかと疑っている。しかし彼女は、息子を信じている。
あの子はたしかにパキスタン生まれだけど、SFとテレビゲームとスター・ウォーズが好きなアメリカ国民だと訴えるのだが、疑いは晴れない。ある日彼女は、電車の中に息子の面影をみる。
しかし、息子の姿をみかけたことで安堵する彼女に、知らせが届く。
息子はテロリストではなかった。それどころか、911発生直後の危険な中、ボランティア救命士として傷ついた人々を救おうと懸命に働いていたのだ。
ああ、あの電車に乗っていたのが息子だったなら、どんなによかっただろうか。
彼女は人々に、こう語りかける。「思いやりのある人間に育てた結果がこれなのか。誤った教育をしていなければ、死なずにすんだのか」と。
アメリカのショーン・ペン監督は、ニューヨークに住むひとりの男をほぼ唯一の登場人物としてファンタジーのような作品を撮った。
彼は、まるで同じ空間に妻がまだ存在しているかのように振る舞い、淡々としたひとりの生活を営んでいる。
この部屋は暗すぎると言う。
そうなのだ、男の部屋は、ワールドトレードセンタービルにより日光が遮断されたところにある。
そして、あの日が訪れる。 地震のような振動のあと、男の部屋の窓からはまばゆい光が差し込んだ。 窓際に置いた枯れた花がみるみる咲き乱れる。
そこにはいない妻に向け笑っていた男の表情は、やがて悲しみに暮れた表情へと変わる。
明るく日が差した部屋で、彼は気づいたのだ。
11人の監督によるオムニバスのトリを飾るのは、日本の今村昌平監督だ。 しかしこの直前のショーン・ペンもかなり不思議な作品を撮ったが、今村昌平の作品はそれをさらに上回る不思議さだ(現にこのふたつは評価の二分するところであるらしい)。
今村昌平監督は、復員兵を描いた。
田口トモロヲ演じる復員兵は腹ばいになってくねくねと前進し、家の中に作られた檻に入れられている。時折蛇のようにチラチラとした舌を出しては、本来、家族である人間を威嚇する。
ある日、彼を不憫に思った母親が檻の中へ入り直接おにぎりを手渡したとき、彼は、母親の手を思いきり噛んでしまう。
いよいよ一緒にはいられないということで、まるで本物の蛇のように箒で追い払われた彼は山へ逃げ、村人の追跡も危うく回避した彼のもとに、黄金色に輝く一匹の蛇が現れる。
やがて彼は地を這いずり、川の中へ潜り消えていく。
聖戦なんてありゃしないというスローガンが現れ、終幕。
なんだこの豪華キャスト、というのと、クレジットにいくつかの知った名前といまは亡き恩師の名前をみつけ、嬉しくなった。
11本の作品のうち、これだけは別次元の強烈さで、何度みてもよくわからないし気味の悪い作品だと思うけれど、印象は鮮烈だ。
2017年の9月11日まで、あと少し。
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