佐々木毅 編著「民主政とポピュリズム ヨーロッパ・アメリカ・日本の比較政治学」
多分、本の読み方が雑多な方だと思う。
以前にはルポルタージュが好きですと言っていたときもあったが、そればかり読んでいるわけでもなく。ただ、小説を読む比率は低く、人文学系の本を好む傾向にはあると思う。
これは買わなきゃ!という本はもちろん買うけれど、図書館へふらっと行って貸出制限15冊をめいっぱい借りて読む、というサイクルが好きだ。
図書館で、思想・刑法・国際政治…外国の文学…演劇・映画……と、たいていお決まりの棚を徘徊して、そのときどきで気になるタイトル(または著者)の本を瞬間的に選ぶ。その時間もまた、好きだ。
(そして本屋でもなぜかそうだけれど、本棚をながめていると尿意を催しがちなのはなぜだ。この現象に名前をつけてほしいと思って検索したら、名前、あった!「青木まりこ現象」というらしい。ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/青木まりこ現象)
少し脱線したけれど、タイトルの本は、そういう成り行きでたまたま手に取り、読んだ。
これが大正解(たまにおもしろくない本に当たるのだ。そういうときは、読まないことにしている)。
ポピュリズム(=大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢)という政治関係でよく聞くこの言葉。何度意味を調べても、なんとなくわかったようなわからないような、この言葉に対する理解はいつもあいまいだ。わたしの中でこの言葉と同系譜に位置するのが、"オルタナティブ"、"アウフヘーベン"。なんかわかったようで、つかみどころのない言葉なんだよなぁ。
近年ポピュリズムに合致した日本の政治家といえば、いまから思えばあの人気はなんだったんだという奇妙なフィーバーを起こした小泉首相、維新の会(国政では勢いがないけれど、大阪ではいまも根強い人気を誇る)、小池百合子都知事がぶち上げた希望の党、だろうか。みんなの党なんかも、同じ系譜。こうしてみると、なんだ、ポピュリズムって一時の勢いがあるだけでたいしたことないね、って感じ。
しかし、一時の勢いだけでその時々の選挙結果を左右するのだから、あなどれない。
特に、一度選挙スタッフをやってわかったことに、現行の日本の選挙制度では一時の勢いがものを言う。なんとなく聞こえのいい話や見栄えのよさが大局を左右する。
有権者ひとりひとりが一票を持つ選挙なのでそれが当たり前と言えば当たり前なのだけど、なんとなく、残念だ(有権者の意識や習熟度、日本の民主主義の在り方、選挙制度の問題点などはあまりに膨大なので、別の機会に)。
維新の会なんかに顕著だけれど、彼らは既存政党を既得権益と結びつけて批判するけれど、単に、既存勢力を追い出して自分たちがその後釜に座りたいだけだからね。
資本主義を徹底的に研究したマルクスは、そこから、社会主義、共産主義社会の未来を見出した。生物やモノ、命のあるなしに関わらず、この世に変わらぬものはない。放射性物質だって、何万年という途方のない時間を経て崩壊に至るのだ。だとしたら、民主主義だって時代によって変容するのではないか。
人間は、ここまでの民主主義を獲得した。言論・表現の自由があり、政党があり選挙があり、議会制民主主義にもと政治が運用されている。なんとなくいい感じだ。
一方その過程で、民主主義そのものやそれに対する反応だって変わってきたはずだ。だとするなら、これからも形は変わっていくはず。
そんなことを考えたくなっていたところに、この本が目に留まった。
まずはいまの世界における民主政の到達点と、ポピュリズムってそもそもなんだというところから。
この本は編著の佐々木毅さんほか10名の執筆陣によって編まれており、それぞれの専門とする国ーEU、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、そして日本の現在の政治事情について大要をつかめる内容となっている。なるほどなるほど、と思いながらぐいぐい読めた。
「ポピュリズムの台頭は、”社会の価値観の変化に対する文化的な反動”である。
学生運動の副産物として、1970年代以降、個人の平等・自己決定・男女の平等・同性愛者の結婚の合法化・少数派の尊重を支持する動きが拡大され、こうした個人の自由や多文化主義を重視する立場や環境保護を重視する立場を、”非物質主義的な価値観”ということがある。
この非物質主義的な価値観の広まりに対する反発こそがポピュリズムを生んだ。つまりポピュリズムとは、基本的には文化的な保守主義である」(池本大輔)
またこれはポピュリズムとは関係があるわけではないけれど、ポピュリズムが最悪の政権を生んだ過去を持つドイツの議会は、
「政府を追及すべき立場にある野党第一党に代表質問のトップバッターを任せるとか、予算委員長のポストを割り当てるといったような優遇措置を講ずる慣習がある」(安井宏樹)
だそうだ。翻って日本を考えてみると…。
ポピュリズムと合致したトランプ大統領が誕生し、いまなお世界に影響力を持ち続けようとするアメリカの大統領制については、
「憲法上の権限も党首としての権力も乏しいために、アメリカの大統領は、議会や政権内部の閣僚・補佐官といった人々に自らの考えを受け入れてもらって、初めて影響力が行使できる存在にとどまらざるを得ない」(待鳥聡史)
という意外な内実があり、ラジオで世論に訴えかけたルーズベルトをはじめ、歴代大統領と同じ文脈の上にツイッターを活用するトランプ大統領があるのだそうだ。
さてここからは日本の政治。
国難突破解散と名づけられた2017年10月の総選挙の投票行動をもとに、年齢ごとや性別ごとの比例投票先のパーセンテージが示されるのだが、おもしろいのは、自民党では女性よりも男性からの得票がわずか高い一方、公明党は女性からの得票が男性の得票のほぼ2倍を占める。不思議なことに、公明党は女性からの支持を多く受けているらしい。
ちなみに自民・公明の政権与党以外の党は、性別によっての得票率の差はほぼない。
話はさらに日本政治の展望について、に飛躍。
安倍政権の問題点への指摘として「今、何をしまうという約束が増えている」「その時々で新たな政策が次々と打ち出されているわりに、政策の深堀がない」(飯尾潤)。
こうした状況で、民主政をどう確立するかという問題に対して、「一般的な議論に一般の有権者を巻き込めるかどうかが重要」「野党がなすべきことは、有権者との新しいコミュケーション回路を模索し、これまで拾い上げられなかった声、十分に解決策が与えられていない課題、世の中をよくしようという思いはあっても出口が見つからない善意を組織化していくこと」と、前述の飯尾さんは展望している。
また、野党が分裂(民進党の分裂のように)してしまう背景に、争点化の基盤としての左右時kが曖昧化しているためだということ、いま政治の世界で問題になっていることの多くは、突きつめれば政党の弱体化によって生じており、そもそも、党員・党友を前提とする二〇世紀型の政党は機能不全を起こしているという大事な指摘もある。
そして、この「一般的な議論に一般の有権者をどう巻き込むか」という問題に対して、高知工科大学フューチャー・デザイン研究所による”フューチャー・デザイン”を取り入れた手法を小林慶一郎さんが紹介。
詳しくは下記リンクに。
おおまかに言えばフューチャー・デザインとは、「現在の視点から未来を予測するのではなく、将来世代の視点からみて「あるべき」未来の姿を考え、その未来を実現するために現在の政策をデザインするという発想」とのこと。
次世代への貢献を人間の本能が希求する”永遠なるもの”への貢献として位置づけ、次世代貢献に自己のアイデンティティを置くことで、「現在世代は次世代に対する(また、同世代内での他者への)利他性を涵養することができ、社会の統合を強化することができる」としている。
この本の編著者である佐々木毅さんは、現在のポピュリズムについて、「撹乱要素とはなり得ても、基本的なスタンスは受け身である。かつて二〇世紀の初頭、不平等が極端に進んだ段階で、平準化への口火を切ったのが大戦争であったことがよく知られているが、現在のポピュリズムにそうした騒々しさは目下のところ見られない」と説く。
これであれば世の中万事うまくいく、なんてものは存在しない。
民主主義を形作るのはひとりひとりの意思や行動であり、民主主義のベストな状態をどう形作っていくか、わたしたちは考える必要がある。
ポピュリズムが騒々しさを持たぬうちに。
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